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【25話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

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第四章 通じる思い

 ウォルトの思いを知り、自分が大切にされていることを自覚したせいだろうか。
 翌朝目覚めて見ると、それまで別世界にいたのではないかと思うほど、目に映るすべてのものが色鮮やかになって飛び込んできた。カーテンの隙間から入る朝日がまぶしすぎて、涙が浮かんできたほどだ。
 とはいえ、自分がいつ眠ったのか記憶がすっぽり抜け落ちていたフィオーナは、隣ですぅすぅと眠るウォルトを見て軽く混乱した。ウォルトのキスと愛撫ですっかり気持ちよくなったことは覚えているが、その後はどうしたのだろう?
 答えは、ほどなく目覚めたウォルトが教えてくれた。
「話し込んだせいで疲れていたんだろう。途中で眠っちゃっていたよ」
 あっけらかんと答えられるが、フィオーナは青くなった。
 いくらウォルトの真意がわかって安心したからと言って……あの雰囲気の中で眠ってしまうとは!
「ご、ごめんなさい、わたし……っ」
「謝らなくていいよ。こういうことはおいおい慣れていけばいいから。むしろ、すっかり安心して眠っていたからほっとした。これまでの君は、寝ているあいだもどこか気を張っている感じがしていたからね」
 起き上がったウォルトはうーんと伸びをして、あわあわするフィオーナの唇に軽く口づける。ちょんとふれるだけの口づけとはいえ、これまでなかったふれあいだけに、フィオーナはたちまち真っ赤になった。
「さぁ、朝食にしよう」

 この屋敷での生活は最初から快適の一言に尽きたが、ウォルトの思いを知ってからは、癒やしの要素も強まった。
 美味しい食事を食べ、優しいひとに囲まれ、やりたいことをやって、この十年で傷ついた身体と心をゆっくり癒していく。
 お茶の時間には、庭に新たに作られたテーブルにたくさんのお菓子を並べ、薫り高いお茶と一緒に優雅なひとときを過ごす。
 花壇に植える花を選んだり、その作業を手伝ったり。暑い日には裸足になって、小川のせせらぎに足先をつけることもした。
 見るひとが見れば、はしたないと眉をひそめられるだろう行為の数々も、この屋敷の者は誰一人として咎めることはなかった。
 むしろ目に見えて明るくなっていくフィオーナに、使用人たちもいたく感激した様子だ。彼女の笑顔が見たいとばかりに、誰もが積極的に世話を焼いてきた。
 そんなある日、庭歩きから戻ったフィオーナは、メイドたちがサロンに集まって縫い物をしているのに気づいた。どうやら刺繍を刺しているらしく、和気藹々とした雰囲気だ。
「ああ、駄目。何度やっても布がへろってなっちゃうわ」
「下手くそねぇ。バラを挿したはずなのに、それじゃただの棘の集まりじゃない。花ですらないわよ」
「そうは言っても難しいのよっ」
 コロコロと笑い合っていた彼女たちは、フィオーナが見つめていることに気づいて、ハッと息を呑んだ。
「申し訳ございません、奥様。すぐに片付けますので」
 以前フィオーナが裁縫箱を見せられただけで真っ青になったことを知っている彼女たちは、すぐに立ち上がって道具を片付けようとした。
 そのとき、上手くできないと愚痴っていたメイドの膝から、刺しかけの刺繍がするりと落ちる。見れば確かに、バラというより、赤い棘の集まりのような柄になっていた。
「ああっ、申し訳ございません、お見苦しいものまで……!」
「あ……待って。バラの刺繍は、少しコツがあるの」
 慌てて隠そうとするメイドを抑えて、フィオーナは自ら針を持った。近くの椅子に腰かけ、手慣れた様子で隣にバラの刺繍を始める。
 下絵もなしでいきなり刺し始めたフィオーナに、メイドたちは仰天した。だがすぐにその手元に釘付けになる。
 彼女たちが息を詰めて見守っている間に、棘だらけの柄の横に、花弁が綺麗に開いたバラが刺繍された。
「まぁ、素敵……!」
「見本だと内側から刺すようになっているけれど、それだと布が寄ってしまって難しいの。裏技になるけれど、こう、外側から刺していくと上手くできるのよ」
「わあ、なるほど。すごい……」
「ちょっと見苦しいところは、またこっちから針を刺して、こんなふうに……」
「おお~……!」
 フィオーナの鮮やかな手つきに、自然と歓声と拍手が沸き起こった。
「あのぅ、奥様、わたしは蔓草模様が苦手でして……」
「蔓草は、針を細かく動かすのをとにかく続けるのが大切なの」
 気づけばメイドたちは周りに座り込んで、フィオーナの両手を穴が空くほど見つめていた。
「すごいですわ、奥様……! 通いの仕立屋に勤めるお針子だって、これほど刺繍が上手な子は見たことがありません」
「殿方の衣装に刺繍を刺すのは奥方の仕事とは言え、ここまでできる貴婦人は滅多にいないでしょう」
「素晴らしいですわ、奥様!」
 口々に褒めそやすメイドたちにはにかみつつ、フィオーナはかなり驚いていた。以前は見るのもいやだった針を手にしても、気分が悪くなったり指先が震え出すこともない。
 それどころか、あれほど苦手で倦厭けんえんしていた刺繍で、メイドたちを喜ばせることができるなんて……
(わたし……ずっと、針を持つのがいやだと思っていた。けれど……)
 本当にいやで、苦しくて、やりたくなかったのは――『やりたくないと思ったことを強制されること』だったのだ。フィオーナは唐突にそれに気づいた。
 もとが不器用で、細々とした作業が苦手だから、針仕事がいやなのだと思い込んでいたけれど、違うのだ。現に今は針を持っていても気持ち悪くならないし、メイドたちに喜んでもらえて素直に嬉しいと思えてくる。
 その日から、フィオーナはそれまで避けていたことにも、なんとなく手を伸ばすようになった。
 雨で庭歩きのできない日には、楽譜を開いてピアノを弾いてみたり。絵の具を並べて、花瓶に生けられた花を模写してみたり。いずれも貴婦人の教養だと継母に叩き込まれたものだが、自主的にしようとは思わなかった。
 厳しすぎる教師陣のおかげで、腕前だけは人並み以上になっていたから、いずれもメイドたちにはひどく感心された。
 そんな彼女たちとお喋りしながら、刺繍をする機会も一気に増えた。レース編みも始まったし、寒くなったら編み物もしようという話が早くも出るくらいである。
 だが、そうやって活発になりすぎたせいか、あるいは気まぐれな雨が続いたことにより急に冷え込んだのが原因か、フィオーナは熱を出してぱったり倒れてしまった。

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