【18話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

作品詳細

 ウォルトは窓辺に静かにたたずんでいた。夜着にガウンだけのしどけない格好だが、月明かりに照らされた静かな横顔からは、いつもの穏やかな様子は見えない。むしろなにか考え込んでいる感じがして、どうしたのだろうと不安になった。
 一方で、洗い立てと思しき髪が肌に張りついている様子にはどぎまぎしてしまう。
 なんと声をかけたらいいかわからず、手持ち無沙汰にたたずんでいると、ウォルトのほうから歩み寄ってきた。
「ん……、いい香りがするね」
 手を伸ばせば届く距離で立ち止まった彼が、ほんの少しかすれた声で囁いてくる。
 彼の一挙手一投足にいちいちドキドキしながら、フィオーナはぎこちなく頷いた。
「あの、今日は香水石鹸を使ってみたんです……」
 このところは練り香水が混ぜられた石鹸が流行しているらしく、入浴の際、メイドたちが「本日はこれをお使いください」と強く勧めてきたのだ。
 泡立ちのよい石鹸は、すすいだあともほんのりしたバラの香りを肌に残した。いつもは匂いがさほどない石鹸を使っているだけに、おかしくないかとはらはらしてしまう。
 だがウォルトは気に入ったようだ。「いい香りだね」と微笑まれて、フィオーナはほっと胸を撫で下ろした。
「綺麗なドレスを着たり、香りの立つ石鹸を使ってみたり……今日の君は、とてもおしゃれに積極的みたいだ。なにか心境の変化でもあったのかな?」
 心境の変化……おおありだ。毎日こんなに優しくされて、大切にされて……変化がないほうがおかしいだろう。
 それもこれも、すべて目の前にたたずむこのひとが望んでしてくれたことだと思うと、胸の中に温かいものが込み上げてくる。
 庭でメイドたちにそう聞かされたときも、驚きの次に湧き上がってきたのは、まぎれもない喜びだった。嬉しくて嬉しくて、なんとか感謝の気持ちを伝えたくて、でもどうすれば伝わるのかわからなくて……
 わからないなりに、周囲に相談して、綺麗な格好をしてみた。普段気にしない身だしなみにも気を遣ってみた。
 そしたら、ウォルトはとても嬉しそうにしてくれた――
 そのことが、たとえようもなく、嬉しい。
 とても不思議なことだ。彼に喜んでもらえることが、自分にとってもこんなに喜びになるなんて。
「今日の君を見ていると、僕も少し期待してしまう。君が僕のことを、少しくらいは好いていてくれているのかなって」
 フィオーナはハッと顔を上げる。見ればウォルトは少し切なそうな、申し訳なさそうな顔をしていた。
 どうして彼がそんな表情になるのだろう? 戸惑っていると、彼は「座ろうか」とフィオーナを寝台へ誘った。
 そういえば、彼と二人で夜を過ごすというのは初めてのことだ。
 ウォルトは夕食前に帰ってきても、その後は書斎で仕事をしたり、また外に出て行ったりするため、一緒の時間に就寝することはほとんどなかった。たいていはフィオーナが先に眠って、ウォルトがあとから寝台に入ってくる形だ。
 朝は一緒に目覚めるときもあれば、彼がシャワーを浴びるために先に起きていることもあった。どのみちウォルトは毎日のように仕事に出かけていくので、ゆっくり会話する時間はあまりなかったのだ。
 並んで寝台に腰かけるが、ウォルトはしばらく口を利こうとしなかった。フィオーナは膝の上で緩く手を組んで、夫が話し出すのを静かに待つ。
 やがて彼は、一つ深呼吸してから口を開いた。
「本当なら、君を屋敷に迎えてすぐに話すべきことだったと思う。けれどここへきたばかりの君は、ひどく緊張して、とても苦しんでいる様子だったから、少し落ち着いてから話そうと思ったんだ」
 言いながら、彼はフィオーナの顔をチラリと見つめてくる。今話しても大丈夫だろうかと確認している様子だ。
 どんな話を聞かされるのかわからないが、フィオーナが傷つかないよう案じてくれていることが伝わって、胸がジンと熱くなった。
「君は、結婚相手はおそらく六十歳の好色な老人と聞いていたと思う。そのことで、よけいな心配や気苦労を背負わせてしまっただろう。まずはそのことを謝らせてほしい。それに、結婚相手が本当は僕だったということも」
 軽く頭を下げられ、フィオーナは大いに慌てた。
 確かに、結婚相手が老人と聞かされていたときは絶望一色だったが、本当の相手がウォルトだとわかったときには、そこまでの悲壮感はなくなっていた。
 もちろん、ウォルトがどういう人間かまだわからない時期だったから、手放しに喜べるものでもなかったけれど……好色で知られた老人よりは、ウォルトのような若く見目麗しい青年のほうがいいのは確かだった。
「最初は僕自身の名で君に求婚するつもりでいたが、ある助言を受けて、僕の養父の名前で求婚することにしたんだ」
「養父……?」
「先代のブランドン侯爵のことだ。子供のいなかった先代は、親戚の子の中で一番頭がいいという理由で、僕を養子にして引き取ったんだよ。いずれ自分の爵位と領地、それと自らが立ち上げた会社を継がせるためにね」
 子供のいない夫婦が親戚から養子をもらうのはよくあることだ。だが実際にそういう事情で引き取られた子供を見たのは初めてのことで、フィオーナは単純に驚いた。
 と同時に、これまであまり考えなかった彼の養父……先代の侯爵のことが少し気になってくる。
「あの……このお屋敷に入ってから、先代の侯爵様を見たことがないのですが、ウォルト様が爵位を継いでいるということは、先代様はお亡くなりに……?」
 普通、爵位は持ち主が亡くなった時点で、その家の嫡男に継承される。
 だが、ウォルトは首を横に振った。
「いや、養父はまだ生きている。かろうじてだけど」
「かろうじて……?」
「まだ公にはしていないのだけど、養父は去年の冬に突然倒れたんだ。それ以降は南方にある別邸で過ごしている。なんとか意識は戻ったものの、身体の半分が麻痺して、自分の意思では動かせないようになってしまった。言葉もなかなか出てこなくて、侯爵の務めを果たすのが困難な状態にあるんだ」

作品詳細

関連記事

  1. 【8話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

  2. 【10話】幼なじみエリート上司と一途で秘密な両想い

  3. 【3話】デキる上司が狙うは恋愛戦力外のシンデレラ

  4. 【9話】幼なじみエリート上司と一途で秘密な両想い

  5. 【2話】クールな鬼上司の恋人モードは、甘々溺愛が止まりません

  6. 【17話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

  7. 【1話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

  8. 【1話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

  9. 【5話】デキる上司が狙うは恋愛戦力外のシンデレラ

Bookstore

dブックロゴ

bookliveロゴ

PAGE TOP
テキストのコピーはできません。