【15話】氷姫を蕩かす熱愛~侯爵様の優しいキス~

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第三章 開かれる心

 それからすぐのことだ。
 メイドたちが、さりげなくフィオーナに意見を求めるようになったのは。
「おはようございます、奥様。お目覚めの紅茶には、ミルクと檸檬のどちらを入れましょうか? それともそのままで、お砂糖か蜂蜜を足しましょうか?」
「お召しになるドレスはどちらがよろしいでしょう? 春らしく淡い色のものがよいでしょうか? それとも流行の小花柄のほうが?」
「朝食にお出しするスープなのですが、コンソメで煮込んだ野菜のスープと、ジャガイモのポタージュのどちらがよろしいでしょうか?」
 特に難しい判断が求められるわけではない。あくまでフィオーナがよしと思うものを選んでくれというスタイルだ。
 しかしこれまで、言われたものを身につけ、出されたものを食べる――たとえそれが意に沿わないものであっても、反対することは許されない――生活だったから、選択肢を示されると困ってしまう。
 ついどちらを選んだら正解かと考えてしまい、メイドたちの顔色をうかがうのだが、彼女たちはニコニコするばかりだし、「奥様がよいと思ったほうをお選びください」の一点張りだ。
 一方で「迷って決められないということでしたら、ご相談には乗りますわ」と言ってくる。フィオーナは毎度混乱しかけながらも、おずおずと好きなほうを選んだ。
 するとメイドたちは嬉しげに微笑んで、フィオーナの希望通りにしてくれる。何日かしてわかったことだが、どうやらここでは、フィオーナがなにを選んでも『正解』になるようだ。
 もちろん、あからさまにしてはいけないことに対しては注意が飛ぶだろうが、経緯はどうあれ、一流の貴婦人としての教育を受けているフィオーナが、そうそう突拍子もないことに手をつけることはまずあり得ない。
 だがメイドたちの様子を見ていると、フィオーナが例えば「締めつけのきついドレスなんか着たくない、一日中夜着のままで長椅子に寝っ転がっていたい」と言っても、なんだかんだ許してくれそうな気がした。もちろん実行はしないが。
 メイドだけではなく、ウォルトもそうだ。
 今日つけていくネクタイはどちらがいいか、などとフィオーナに選ばせてくる。フィオーナが選ぶと嬉しそうにそのネクタイを巻いて、彼女が選んだ上着を羽織り、とてもセンスがいい見立てだと褒めてくれた。
 朝の見送りはもちろん、夕方に帰ってくるときに玄関へ出迎えに行けば、にっこりと微笑んでくれるし、なんと毎日のように贈り物を携えてきた。
 瑞々しい花束に、普段使いできる宝飾品、出版されたばかりの恋愛小説。
 まるで遠出のたびにおみやげを買ってきてくれた亡父のようだ。
 細身で優男のウォルトは、頑強な雰囲気だった父とは似ても似つかないが、フィオーナの頭を優しく撫でたり、彼女を可愛いと言ってくれるところは驚くほど似ている。
 毎日そうやって笑顔を向けられるせいか、いつしかフィオーナも、ウォルトの帰りを待ちわびるようになっていた。
 真綿にくるまれるように大切にされる日々……そこに心地よさを感じ始めたある日、ちょっとした事件が起きた。
 いつものようにウォルトを見送って、自室に戻って本を読もうかと思っていたときだ。
「奥様は刺繍はなさらないのですか? この前やってきた仕立屋が、いい刺繍糸が手に入ったからと、見本をいくつか置いていったんですよ」
 若いメイドの一人が、美しく装飾された裁縫箱を手に声をかけてくる。蓋を開けると、色とりどりの糸が綺麗に並べられ、針が整然と並んでいるのが見えた。
 だが、フィオーナは針や糸を見た途端、強烈な寒気を感じて一気に青ざめる。背筋が冷水を浴びせられたように冷たくなって、危うくよろけそうになった。
「奥様!? 大丈夫でございますか?」
 裁縫箱を持ったメイドはもちろん、そばにいた他のメイドたちも血相を変えて飛んでくる。
 口元を押さえながらガクガクと震えるフィオーナは、メイドたちに目を走らせる。全員心配そうな顔をして、怒っている様子ではない。
 それを確認した彼女は、意を決して、青くなった唇を開いた。
「刺繍は……あまり、好きではないの」
 好きどころか、嫌い……できれば針も糸も視界に入れたくなかった。
 フィオーナはさほど器用なほうではなくて、幼い頃から針仕事は不得意だった。
 だが刺繍は貴婦人の嗜みの中でも重要視される教養だけに、継母サンドラは嫌がるフィオーナに一日中針を持たせたのだ。
『刺繍の一つもできない貴婦人など聞いたことがない! きちんとしたものができあがるまで、部屋からは出さないよ!』
 何度も針先で指を突いて、気づけば全部の指が包帯だらけになってしまった。それでもサンドラは決して許さず、むしろどうしてこんな簡単な図案さえできないのだと、自ら鞭を持ってフィオーナをしごき続けた。
 教師も何人もつけられ、サンドラが満足するできあがりになるまで、何度も同じ図案を刺繍させられる。そのあいだ部屋から出さないのはもちろん、寝かさないし食事も抜きだと言われ、耐えかねて泣き出すことも何度もあった。
 おかげで刺繍の腕前自体はかなりのものになったが、それまでの過程があまりに苦しく、思い出すだけで息が切れる有様なので、強要されない限り、決して針と糸を手にしようとは思えなくなったのだ。
 どんな図案でも刺せるようになった今でさえ、不意打ちのように裁縫箱を見せられると震え上がってしまうほど、心の傷は深かった。
「申し訳ありません、奥様! すぐに片付けてきます!」
「どうぞおかけになってください。すぐにお茶をお持ちしますわ。ああ、こんなに震えて……誰か! ショールを持ってきて!」
 メイドたちがすぐにバタバタと動き出す。フィオーナはメイドの一人に支えられてカウチに座り、しばらくじっと目を伏せて震えが去るのを待った。
 そうして目を開けたときには、蜂蜜をたっぷり入れた紅茶と焼き菓子が用意されていて、肩には大判のショールが掛けられていた。

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