【試し読み】甘やかし系社長と溺愛新婚ライフ

作家:立花実咲
イラスト:弓槻みあ
レーベル:夢中文庫クリスタル
発売日:2022/6/10
販売価格:800円
あらすじ

とことん甘やかしたいんだよ、あなたのこと──アラサーになって仕事はすっかりベテランの望未。けれど恋愛はうまくいかなくて、周りに急かされ婚活でもしようかと悩んでいた。そんな弱音を普段よく顔を合わせる若手イケメン社長の紘斗にぽろっとこぼしたら──「僕と結婚してくれませんか」突然のプロポーズ!? とことん優しく絶妙なアプローチを紘斗に仕掛けられ、望未は臆病になっていた心をほどかれて……。かわいいわんこで、情熱的な獣で、やさしい旦那様。蕩けるほど愛される激甘な新婚生活!

登場人物
中谷望未(なかたにのぞみ)
輸入専門商社に勤める31歳。仕事は充実しているが、恋愛がうまくいかず悩んでいる。
菅野紘斗(かんのひろと)
ベンチャー企業のイケメン若社長。婚活に悩む望未に突然プロポーズする。
試し読み

■プロローグ 献身的な愛の行方

「好きだよ。愛してる」
 どうしてこんなに彼は献身的に愛してくれるのだろう。
 身体はひたすら熱いのに、氷のナイフが胸に刺さっているかのよう。
 苦しくて愛しくて、涙がこぼれてしまいそうになる。
 思い出を上書きされていくことへの罪悪感と、大切に愛される喜びを知った幸福感が、心の中で手を取り合っては葛藤し、過ぎた昔の様々なことが胸の内に去来する。
「こんな、私でいいの……? 本当に、いいの……?」
 譫言うわごとのように繰り返した。
 私は、いつの間にか臆病になっていた。
 無意識に、幸せになること、心を満たすことを恐れていたのかもしれない。
 けれど──。
「あなたはそのままでいい。そのままのあなたをすべて愛したいよ」
 それでも構わないと、彼は言う。
 溺愛してくれる腕の中は心地がよかった。
 私は泣きながら彼に縋って、やがて甘い夢の中に溶けていった。

■1 突然のプロポーズ予告

 何が起きたって朝は必ずやってくる。いくら昨日の気持ちを引きずっていても、問答無用で世界はリセットされるのだ。それはある意味『救い』なのかもしれない。
 ある日、側にあった温もりが煙のように消えても、あったかいコーヒーはいつだって飲めるし、会社に行けば当然のように仕事がある。自分が生きていく理由が待っている。自分の存在理由はそこにある。
 窓の外に見える淡い桜の木々に目を向け、中谷なかたに望未のぞみは気だるさを払うように背伸びをした。
 テーブルの上には、紙切れが一枚残されていた。走り書きしたような文字だ。
『ごめん。なかったことにしてほしい』
 お花見デートのあと、一夜を過ごした相手からの置き手紙だった。これはいうならば、もう次はないよという宣誓書のようなものだろう。
 書き残した本人に理由を聞かなくてもなんとなく事情は察する。望未にとっては恋のはじまりのつもりだったが、彼にとってはただ魔がさしただけで、本命の彼女以外との一夜の過ちでしかなかったのだろう。わざわざこんなふうに紙に残したのは、これ以上、連絡はしないでほしい、と言いたいのかもしれない。浮気の証拠をスマホの端末に残したくなかったのだろう。
 察しばかりよくていやになる。望未は小さくため息をついた。
 そのつもりならそれで構わないし、と強がりながらも、胸のどこかにぽっかりとした穴が空いたような寂寞せきばく感に苛まれた。
 毎年この桜の季節になると精神が不安定になりがちだ。人肌が恋しくて心の隙間を埋めたかったというのはある。だから、望未もある意味では同罪なのだ。一夜限りでもいいから、誰かに側にいてほしかった。ただそれだけのこと。だから、彼のことはもういい。
 でも、いつまでもこんな適当なお付き合いをしていられるはずがないことも、もちろんわかっている。
 望未は今年の六月に三十一歳になる。大学卒業後、輸入専門商社に入社して九年目。新人の頃は先輩についてバイヤーを経験し、今は営業事務のデスクとバイヤー補佐を担当している。
 入社三年目までは先輩と呼べる人の方が多かったのに、年を重ねるごとに周りはみんな寿退社していき、気付けば望未はすっかりベテランの顔になっていた。
 三十歳になった途端、親から結婚のことをよく聞かれるようになった。そのうちと答えると、そのうちっていつなのとしつこく食い下がられ、いくつか縁談を持ちかけられた。そのたびに余計なお世話だと望未は一蹴し、また別のお見合いの話をされる。そんな攻防戦を繰り返しながら、日々仕事に精を出している。
 生活する上で仕事は死活問題だけれど、恋愛は必要不可欠というわけじゃない。結婚がすべてではない。そんなふうに反発しながらも、同時に乾いた感情が芽生えるのもたしかだった。
 ずっとこのまま一人っていうのは気楽だけど、寂しい。
 人は寂しさを埋めるために温もりを欲するもの。その末に、ずっと一生この人の温もりを感じていたいと願うようになり、結婚していくのだろうか。
 それなら、今日去った相手は、ご縁がなかったということだろう。一時的な快楽に満たされても、少しも心は満たされなかったし、むなしいだけだった。
 洗面所に立ってばしゃばしゃと顔に水を浴びた。それから美容液をたっぷり含ませた。二十代の頃のつるんとしたむき卵のような肌を保持するべく、お手入れだけは怠らないようにはしている。働く女の意地かもしれない。疲れているように見られたくはなかった。
 ぼさぼさの髪にトリートメント水を塗りこみ、絡まらないように丁寧に櫛で梳かしていたら、鎖骨のあたりに男が残したキスマークが浮かんでいた。
 せっかく現実に戻りかけていた望未は、ふうっとため息をこぼす。あとでコンシーラーで塗りつぶしておかなくては。
 簡単に手放すような相手に、独占欲の証をマーキングしないでほしかった。こういう内出血の痕こそ、若いときよりも残りやすいんだからね、と赤くなった箇所を睨んだ。
(私はいつになったら、誰かと結婚したくなるのかな)
 もういっそのこと生涯のパートナーとしてペットを飼ってもいいかもしれない。マンションを買ってしまおうか。望未は堅実な性格なので、貯金だけはしっかりと残してある。
(まぁ、使い道がないってことだけどね)
 自虐はそこそこに、さて、今日の仕事は……営業と取引先との打ち合わせの時間は何時だったか、確認しておかなきゃ。そのあとは会議の資料を読み込んでおくことにして、それからそれから……と気を紛らわすようにスケジュールを脳内で組み立てながらさっと着替えて、しっかりメイクをして通勤に備える。
 自宅のマンションから二駅ほど離れた都内の二十五階建てのオフィスビルの十階、そこに望未が勤めている会社が入っている。朝の満員電車でストッキングが伝線してもいいように、予備をバッグに仕舞い、家を出た。
 外に出ると、ふんわりと甘酸っぱいような香りが漂っていた。付近を彩る桜の木々が視界を淡く染め、薄紅色の花びらがどこからともなくひらひらと舞い降りてくる。昨日の夜にはたしかに美しいと思えた景色も、今はただ虚しく映るだけで、早く初夏がくればいいのにとさえ感じてしまう。
 それ以上考えないようにして、望未は振り切るように駅へと急いだ。
 それから、しばし満員電車に揺られたあと、無事にオフィスビルに到着。望未がいつものように社員証チェックを済ませてエレベーターに乗り込むと、「すみませーん」と明るい女子社員の声がうしろから追いかけてきた。
 後輩の森田もりたリカだ。彼女を筆頭に続々と女子社員が押し寄せてくる。やがて女性専用エレベーターへと化してしまうと、だいたい男性社員は遠慮して次のエレベーターを待つことになるのだが、一人だけ空気を読まずに端っこに乗り込んできた男性がいた。
 彼はスーツ姿ではない。パーカーにジーンズといったカジュアルな服装で、頭はすっぽりとフードで覆われ、濡れた烏の羽みたいに綺麗な前髪が、彼の端正な目元を隠している。ずいぶんとラフな格好だ。他人にあまり見られたくないのか、花粉症なのかはわからないが、マスクで完全に口元を覆っていた。
 なんとなく目を奪われていると、扉が閉まったあと、定位置を確保するようにリカが望未の隣に滑り込んできた。男性の姿はこちらから見えなくなってしまった。
 まあ、いっか……と、望未はすぐに興味を放棄した。
「おはようございます、先輩」
「おはよう」
 にこやかに挨拶をすると、リカはマスカラをばっちりと塗った睫毛をしぱしぱとさせ、望未を観察するように見上げた。
「なぁに、森田さん」
 視線が纏わりつくのが居心地悪くて、望未はつい彼女から少しだけ距離をとってしまう。
「先輩、お肌がカサカサじゃないですか。もしかして、彼氏に振られたとか……?」
 いきなり図星を突かれ、望未はどきりとする。これでも、何かあったと悟られないようにいつもどおり手入れをしたのに、彼女の若さには勝てなかったらしい。それと、相手は彼氏……ではない。そのあたりを一々説明するのがちょっと面倒だった。
「詳細は割愛するとして。週明け早々、清々しい朝に話すことじゃないのはたしかね」
 こういうときはさっさと認めてしまった方が、収束しやすいということを望未は心得ている。案の定、待っていたといわんばかりにリカの瞳が輝いた。
「やっぱり、そうだったんですね。恋の傷を癒すには、新しい恋ですよ。今週末、他部署との合コンに参加しませんか?」
 まわりに聞こえないように、リカがひそひそと耳打ちしてくる。
「合コンはちょっと……」
 移り身の早い提案に、望未は苦笑する。
「うちの部署って人気あるんですよぉ。社内恋愛ってドキドキしませんか?」
 リカは大学新卒で入社し、今年で三年目の社員だ。新人気分がまだ抜けない部分もあるが、溌剌はつらつとしたところが憎めない性格だ。気配り上手でもあるのでお局様からは可愛がられ、男性受けもいい。部署は男性社員が多いので、よりどりみどりといっても過言ではない。
「リカちゃんみたいに若いなら合コンも需要あるだろうけど……」
 リカと話をしている間に、エレベーターは目的のフロアに到着した。
 望未が所属部署のルームを目指して颯爽と歩き出すと、リカがうしろから駆け寄ってくる。
「年上のお姉さん好きな人いますよ?」
「私、まわり道している場合じゃないもの、遊んでる子にひっかかるのはちょっと」
 それに、社内恋愛で気まずくなってしまうと、年齢的にも立場的にもいたたまれない。
 年を重ねるごとに輪をかけて保守的になってしまっている。これがよくないのだろうか。
「望未さん、それならいっそ、婚活しちゃいましょう」
 リカは気合を入れたように言った。
 砕けた話をするときは、お互いに下の名前で呼び合っている。朝から気を抜くつもりはなかったのに、リカの空気にすっかり呑まれてしまった。
「お互いに結婚を目標にしている人と出逢えば、恋愛をはじめる過程も、恋愛をはじめてから結婚に至る過程も、めんどくさいことなくなりますよね」
「婚活ねぇ……そもそも縁談だってめんどくさいのに」
 つい本音が出た。また週末に母親から電話があるかもしれないと思うと、気が重たくなってしまった。
「まぁまぁ、そう言わずに。私いいアプリ知ってるんですよ。成就率77%っていう! あからさまに99%じゃないところがいいんです。リアルな数字は嘘をつきませんから」
 リカがスマホを握りしめる。回し者なのではないかと思うくらいの営業トークだ。
「わ、わかったわ。またゆっくり聞かせて。まずは仕事でしょ。切り換えないと」
「たまには恋愛脳になったっていいと思いますよ。中谷先輩、まじめなんだから」
「私と森田さん足して二で割ったくらいがちょうどいいのかもね」
「もう……先輩ってば」
 とりあってくれないことに不満を漏らしつつ、リカは器用に片方の頬をふくらませた。
「ところで、週明けのプレゼンの資料、ちゃんとできてる?」
「もちろんですよーこれからやります」
 お調子者のかわいい後輩に少しだけ呆れつつも、気分転換できたことに感謝する。
 それからデスクに向かい、日々のルーティンをこなす。仕事にのめり込んでいくうちに、沈んでいた気持ちはいつの間にかゆっくりと落ち着いていった。
 恋を癒すには新しい恋とリカは言っていたけれど、ちゃんとした恋ができるような気がしない。今までだって挑戦してきたつもりだったけれど、全然だめだったのだから。
 やっぱり、私の場合は仕事に打ち込んだ方がずっとよさそうだと、望未は肩を竦めた。

* * *

 昼休みになり、望未はデスクの前で背伸びをすると、財布を持って立ち上がった。広々としたフロアの奥には社員食堂もあるし、オフィスビルの近くにはパン屋があるが、今日はなんとなく二階にあるカフェに行こうかと思い至った。
 理由は二つある。
 一つは、婚活の話をしたがっていたリカに捕まりそうな気がしたから。
 幸い彼女はまだ仕事中だ。これから順番に休憩に入るので、望未は一足先に逃げるように部署から離れ、足早にフロアを移動した。
 不意に、母親から持ちかけられた縁談のことを思い出し、望未は憂鬱になった。
『いい感じの人よ。とにかくお相手に会ってみればいいじゃない』と母は言った。どんな人なのか尋ねてみれば、バツイチらしいが、物静かで優しそうな人だというのだ。離婚の原因は元妻の浮気らしいので、された側は絶対に浮気はしない保証つきだと、母はあくまでも前向きな物件であることを訴えた。
 望未は母の言い分に呆れてしまった。バツイチの男性を娘に勧める母親なんてそういないだろう。なにしろ母が重要視するのは意外にも経歴とかじゃなくて顔、そして人柄だ。人生に失敗はつきものだから相性が良ければそれでいいという。極めつきにとにかく早く孫の顔が見られればいいという。それが親の本音らしい。
 望未だって親の願いを叶えてあげたい気持ちはあるし、結婚したくないわけじゃない。
 でも、恋愛の仕方がわからない。踏み出し方がわからない。ある日を境に、外側だけ年齢を重ねるようになった。身体はとっくに大人の経験を済ませているのに、心の中はずっと無垢な少女のままだった。
 自分でさえ迂闊に触れられない、壊してはいけない繊細なガラスに包まれた思い出を、いつまでも大切に仕舞っている。
 誰にもそのことを打ち明けることがないまま──。
 それなのに季節限定のお付き合いができるなんて、我ながら矛盾していると思う。
 けれど、こんなふうにも思うのだ。浅い付き合いなら別れのときがきても傷つかない、と。深入りすればするほど、また失うときがくるのが怖い。臆病な自分はそういう痛みを知ることを恐れたまま三十歳を越えていたのだった。
 そんな望未にも実は密かにいいなと思っている人がいる。今日はむしょうにその人の顔が見たくなった。それが、今からカフェに向かおうと思った二つ目の理由だ。
 気になるその人は、二年くらい前から度々ビル内で見かける長身の男性だった。見目麗しい彼はどうやらこのオフィスビルのどこかの若社長らしい。秘書らしき人を従えて歩いている姿を目撃することが多々あった。
 それから、若い女の子が媚びた声で彼に話しかけるのを何度も見た。まるで彼は美しい花。そして彼女たちはその花に吸い寄せられる蝶のようだと、望未は思った。
 派手な感じではないけれど、人好きするような雰囲気と、懐っこそうな笑顔に惹かれた。
 望未は彼のことが気になりつつも、しばらくは垣根からそっと見ているだけだった。
 しかし去年の秋頃、仕事の休憩時間になんとなく羽を伸ばしたくてたまたま非常階段にふらりと抜け出ると、そこで彼とばったり出会い、話をするようになった。
 かれこれ五ヶ月経過した今も、たまに交流がある。一緒に過ごしていると、癒しのようなものを感じた。どこかの社長を務める彼にこんなことを感じるのは失礼かもしれないが、なんだか子犬か子猫を相手にしているかのような和やかな気持ちになるのだ。それからすっかり彼は望未のお気に入りになった。
 彼はカフェ巡りが好きらしく、このオフィスの二階にあるカフェを気に入っている。偶然会えないだろうか、と思い立ったのだ。
 カフェに入ろうとすると、運よくお気に入りの彼とバッタリ出会い、望未は嬉しくなって頬を緩ませた。
「今日はカフェでお昼ですか?」
 彼がにこやかに話しかけてきた。
「うん。たまにはオフィスのインスタントじゃなくって美味しいコーヒーが飲みたくて」
 望未が笑顔を咲かせると、彼もつられたように朗らかに微笑む。そのとき望未は彼の右頬に小さく浮かんだえくぼを発見する。出逢った頃から、この星の形をした印がかわいいと思っていた。私もそういうチャームポイントが欲しかったな、と望未は内心思う。
「僕も同じこと考えてました。せっかくだし、これから一緒にお昼どうですか?」
「もちろん。ぜひ、ご一緒しましょう」
 彼のお誘いが嬉しくて、声が裏返ってしまいそうだった。
 レジ前注文の店なので、望未は彼と並んでメニューを覗き込む。春メニューというポップが手書きで添えられている部分に興味を惹かれて見ると、春キャベツとレタスに挟まれた、ハニーマスタードソース付きのチキンカツサンドがとても美味しそうだった。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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