【試し読み】乙女ゲームの世界に転生しましたが、推してた王子が僕(私)になぜか悶々としています

作家:真崎奈南
イラスト:ウエハラ蜂
レーベル:夢中文庫セレナイト
発売日:2021/6/29
販売価格:700円
あらすじ

犬を助けようとして命を落としてしまった莉愛。しかし目覚めると大好きな乙女ゲームシリーズの勉強ができる陰気な女子キャラ、リア・ミルバルトに転生していた!目の前に現れる見知ったキャラたちに興奮するのもつかの間、父からの命令で双子の兄の代わりに寮に住みながらサンクラートアカデミーでの試験を受ける羽目に。いろんな不安を胸に男装してアカデミーへ向かうリア。すると、ゲームを始めて最初に心を奪われた、あのルーシアス王子と同室に!?身代わりがバレたら家の信頼も失墜してしまう!絶対に気づかれてはならないと必死に兄を演じるけれど……。「俺はお前を大切に思ってる」──ルーシアス王子との距離がなんだか近づいてきて!?

登場人物
リア
莉愛の転生後の姿。双子の兄の代わりに男装してアカデミーの試験を受けることに。
ルーシアス
攻略対象の王子。容姿端麗でクールな性格。寮ではリアのルームメイトになる。
試し読み

 緑豊かな国として知られるジルラフォレストの中心都市サンクラート。
 閑静な街並みに溶け込んだ立派な外観の本屋から、ひとりの学生が華奢な腕に本を三冊抱えてほくほく顔で出てきた。
「……楽しみ」
 胸の高鳴りを抑えきれないままに、サンクラートアカデミーの男子学生服に身を包んだ、リア・ミルバルトは可憐に微笑む。
 続く形で店から出てきた侍女のルイスに小さく咳払いされ、店先で立ち話をしていた町民たちから向けられていた視線に気づき、リアはさりげなく顔を背けた。
 そのままふたり揃って急ぎ足でその場を離れたあと、辺りに人がいないのを確認しつつ、向き合う形で足を止めた。
「リアお嬢様。……私はこの辺りで失礼いたします」
 不安いっぱいに囁き掛けてきたルイスを安心させたくて、リアは明るく笑顔を返す。
「ありがとう。心配しないで、完璧に役目を果たしてみせるから」
「お側にいられないのは心苦しいです。一週間が経ちましたら、すぐに私もセイン様と共にお迎えに上がりますから、それまで頑張ってください」
 リアが力強く頷くと、ルイスは深く頭を下げて名残惜しそうにきびすを返した。
 常に一緒にいて頼りにしていた存在が離れていくことに不安と心細さを感じ表情を曇らせるが、アカデミーに着く前から挫けてもいられない。「頑張るぞ!」と自分を鼓舞し、歩き出した。
 リアは正真正銘の女の子であるが、こうして男子の学生服を着ているのには訳がある。
 双子の兄であるセイン・ミルバルトに代わって、これからサンクラートアカデミーで試験を受けることになっているのだ。
 かろうじて覚えているゲームマップからアカデミーの位置にあたりをつけて北に向かって進むが、大通りに出たところで本当にこの方向で合っているのかと徐々に不安になっていく。
 通りを行き交う人に問えば答えてくれるだろうが、アカデミーの制服を着ているのに分からないのかと変な目で見られてしまうだろう。しかも、怪しまれてしまったことで身代わりがバレるようなことになってしまったら元も子もない。
 やっぱり、ルイスに場所を確認しておけばよかったと後悔するが、今更遅い。
 リアは足を止め、晴れ渡った空を見上げて、なんでこんなことになってしまったのだろうと、小さくため息をついた。
 ルイスに確認するのを躊躇ためらったのには、……誰にも言えない秘密があるからだ。
 引きこもり気味であっても、この町で生まれ育ったリア。半年ほど前には、入学試験を受けにサンクラートアカデミーへひとりで訪れているため、本当なら場所を知っていて当然だった。
 しかし、今ここに立っているリアはサンクラートアカデミーの場所はもちろん、街並みすら、初めて目にする状態だ。
 初見でないのは、身につけている男子制服くらい。この制服は、ゲーム機の画面越しに見ていた。リア・ミルバルトとしてではなく、蔦田つただ莉愛りあとして。
 自分の記憶を頼りにもう少し北上してみようと、気を取り直して再び歩き出した時、通りの少し先をヨボヨボと横切っていく茶色い毛の塊に目が止まった。
 毛艶もいまいちで痩せ細っている老犬は、休息を挟むようにその場でしゃがみ込む。
 通行人から「邪魔だ」と声を荒げられても体力が残っていないのか、それとも耳が少し遠くなっているのか、あまり反応はない。
 リアの持ち物は先ほど購入したマフィン四つと、三冊の本に学生証くらいだ。
 さすがにマフィンはあげられない。他にも何かあげられそうなものを買っておけば良かった。
 そう後悔しながら、まるでしょんぼり肩を落としているかのような格好の老犬を見つめていると、前方で人々がざわめき出した。
 視線を移動し、一頭の馬が暴れている光景に思わず目を見張る。しかも、宥めようとしていた人々の間から馬は飛び出し、リアへと荒々しく向かって来た。
 一心不乱に突進してくる様子に、本を持つリアの手が恐怖で震える。リア、そして莉愛の身に起こった重苦しいふたつの記憶が呼び起こされたためだ。
 怖い。……でも、逃げなくちゃ。あの日の二の舞になってはいけない。
 強張った両足を必死に動かし、道の端へ避けようとしたが、その場から動かない犬に気づいてしまい、あぁと奥歯を噛み締める。
 リアは持っていた本を投げ出すように手放し、老犬へと駆け寄る。中型犬ほどの大きさの犬を両手で抱えあげ、すぐさまそこから離れようとしたが、視界に荒れ狂う馬の姿を捉えてしまい、恐怖で足が竦んでしまった。
 我を忘れて迫り来る馬との衝突を覚悟した瞬間、腕を掴まれ、後ろへと強く引っ張られた。
 そのままリアは、自分を支えてくれた逞しい腕に背中をもたれさせる形で、すぐそばにある美麗な横顔へと視線をのぼらせる。
 やがて、走り去っていく馬を見つめていた黒い瞳が、ゆっくりとリアへ向けられていく。
「おい、セイン。なぜ風の魔力を発動させない。危ないだろ」
 深い艶のある黒髪、煌めきを持つ黒い瞳、綺麗な白い肌。低くて甘い美声。紛れもない美青年に、リアは大きく目を見開く。
「ル、ル、ルーシアス王子!」
 思わず叫んでしまい、ルーシアスにあっけにとられた顔をされてしまったが、そんなことはどうでも良かった。
 目の前に、あのルーシアス王子がいる。二番目に大好きなキャラとのご対面に、リアは歓喜に打ち震えながら、ルーシアスを見つめ続けた。
 喜んでいるのは、リアの中にいる蔦田莉愛。ルーシアスは莉愛が大好きな乙女ゲーム、『フラワームーンナイト』シリーズの一作目に出てくるキャラなのだ。

 事の始まりは、一ヶ月ほど前に遡る。

 日本では季節が初夏へと移りゆく中、ゲームソフト販売店を出た莉愛は、弾むような足取りで家路を急いでいた。
 胸元に大事に抱えている黒色のビニール袋の中身は、購入したばかりの乙女ゲーム『フラワームーンナイト3』。イケメンキャラとの恋愛を軸に、勉学、魔法の修行や自分磨きなど、魔法学校で濃密な一年間を過ごすゲームである。
 中学二年生の時、廉価版で購入した1が面白かったため、その時新しく発売されたばかりだった2もすぐに購入。2のメイン攻略キャラであるスカーレット王子に心を射抜かれ、時間を忘れてどっぷりのめり込む。
 中学三年の受験シーズンに突入したあとは、現実の辛さをスカーレット王子の激甘ボイスに癒されながら乗り越え、高校に無事合格。
 そして入学から三ヶ月経ち、待ちに待った『フラワームーンナイト3』の発売日。
 予定通り学校帰りに店に寄って、たった今、予約していたソフトを無事ゲットしたところである。
 特典のクリアファイルをじっくり眺めたい気持ちを抑えながら、自然と歩く速度が上がっていく。
「楽しみすぎる」
 呟きと共に、莉愛の口元が緩む。今日は金曜。月曜日は創立記念日の代休のため、飛び跳ねたくなるほど嬉しい三連休。今夜から睡眠時間もそこそこに、ゲーム三昧の休日を送る予定なのである。
 スカーレット王子にハマりまくった2のように、最新作の3でも心ときめくキャラに出会えるだろうかと、これまで繰り返し見てきた公式サイトのトップページに大きくでている白銀の髪色をしたメインキャラのすまし顔を思い浮かべた。
 笑みを堪えきれないままに、大通りから住宅街の路地へ入った時、茶色でふわふわとした毛並みの小型犬が、道をこちらに向かってとぼとぼと歩いてくる姿が莉愛の視界に飛び込んできた。
 その姿が愛犬のモカにそっくりで、思わず目を見張る。
 ドキリとはしたものの、二年前にモカは亡くなっているのをすぐに思い出し、浮かれ切っていた心にほんの少しだけ切なさが混ざっていく。
 雰囲気が似ているなと微笑ましく見つめていたが、周囲に飼い主の姿は見当たらない。
 迷子かもと心配になりモカ似の小型犬から目を離せないでいると、前方でタイヤの擦り切れる甲高い音が響き、莉愛はハッと顔をあげた。
 白いワゴン車が乱暴な運転で角を曲がってやってきた。
 車がすれ違うのも気を使うような道幅しかなく、危ないなと眉間にしわが寄ったけれど、その後ろからパトカーが続いて入ってきたため、スピードが出ている理由をすぐさま理解する。
 警察から逃げているのだろうその車は、スピードを落とす気配がまったくない。しかし、その先にはモカ似の小型犬がいる。
「早く逃げて」と震える声で願いを呟くが、近づいてくる暴走車に気づいた犬の動きは、怯えから完全に止まってしまった。
 このままでは車にかれてしまう。怯える姿に愛犬が重なり、二度もモカを失いたくないと、莉愛の中で強い思いが一気に膨らむ。
 気がつけば駆け出していた。抱えていたゲームソフトが入った袋を放り出し、モカ似の犬を抱きあげる。すぐさま踵を返して離れようとしたが、足がもつれてしまいその場に膝をついてしまった。
 容赦なく迫ってくる車。冷えていく心の片隅であぁもうダメだと悟ると同時に、視界に不思議な映像が割り込んできた。
 見えたのはほんの一瞬。我を忘れたように荒々しく近づいてくる馬。
 今のは何と感じたのも束の間、馬は白い車へと姿を戻す。莉愛は犬を庇うように抱きしめて、クラクションが鳴り響く中でぎゅっと目を瞑った。
 衝撃と痛みに襲われ、冷たい道路の上に横たわる。緊張の面持ちで警察官が呼びかけてくるけれど、声やざわめきなど聞こえていた音が徐々に消えていった。
 痛みは……感じず、まるで夢の中の出来事のよう。
 視界にモカ似の小さな顔が現れ、助けられて良かったと安堵したその時、また違う世界が視界に割り込んできた。
 空ではなく洋風な天井を背後に、心配そうな顔で覗き込んでくるのはメイド姿の若い女性。
 見えた世界はすぐにぼやけて、現実が戻ってくる。わずかに頭を動かして捉えた黒い袋に、莉愛は心の中で嘆息した。
 ゲームしたかったな、と。
 新作ももちろんプレイしたかったし、スカーレット王子にももう一度会いたかった。
 最推しの優しい微笑みと甘い声音を思い出し、莉愛は小さく笑みを浮かべて目を閉じた。
 フラワームーンナイトの世界なら、こんな危機に陥っても間一髪でスカーレット王子が助けてくれただろう。
 そうぼやきたくもなるけれど、すぐにそれは違うなと心の中で否定する。助けてもらえるのはヒロインだけだからだ。
 ヒロインじゃないから危機は避けられない。だって実際に、私は暴れ馬に襲われたじゃないか。
 自分で出した結論へ莉愛が一拍遅れて疑問を抱いた時、暗転した意識下にゲームでよく見るメッセージウィンドウが現れ出た。
 ゲームをしたかったという願いが具現化したような気持ちになっていると、メッセージウィンドウに「……」と三点リーダーが浮かんでは消え、また浮かんでは消えていった。

「……様! ……リアお嬢様!」

 やがて文字が浮かび、声まで聞こえてきて、莉愛はゆっくりまぶたを持ち上げる。
 自分を覗き込むのは赤い髪を後ろで一つに束ねたメイド服姿の女性で、先ほどチラついた光景の中にいた人物と同じだった。彼女の表情は不安で強張っていたが、目が合うと同時にホッと息をつく。
「あぁ、良かった。意識を取り戻されて」
 手に温かな手がそっと触れ、他者の体温を感じ取った瞬間、弾けるようにメッセージウィンドウは消え、ぼんやりとしていた意識が覚醒する。
 車に轢かれて倒れたはずなのに、目覚めたのは病室ではなく見知らぬ部屋の中。
 自分は柔らかなベッドに横たわっていて、脇からメイドのような女性に手を握り締められている状態だ。
 ここはどこ? あなたは誰? 私はいったいどうなってしまったの?
 聞きたいことは山ほどあるのに、思うように言葉が出てこない。莉愛が体を起こそうとすると、女性が「まだ横になられていた方が」と慌てながらも手を貸してくれた。
 二十畳近くあるだろう広い部屋の中にはアンティーク調の家具が並ぶ。何よりも目を引くのは壁一面の大きな書棚で、そこにはぎっしりと本が詰まっていた。
 寝転がってゲームをしていたベッドや、受験期にかじり付いていた机、漫画本の詰まった小さな書棚のある六畳ほどの洋室が自分の部屋のはずなのに、ぼんやり室内を見つめていたら思ってしまったのだ。
 ここは私、……リア・ミルバルトの部屋だと。
 その瞬間、頭に思い浮かんできたのは、ジルラフォレスト国にて十六年前にミルバルト公爵の長女として生を受け、人付き合いが苦手ではあるものの、これまで何不自由なく暮らしてきたリア・ミルバルトとしての記憶の断片だった。
 両方の人生の記憶が混ざり合ったことで脳が処理しきれずに混乱し、リアはぐらぐらと目眩めまいに襲われる。
 頭を抱えたまま背中を丸くしてうずくまったリアに女性……侍女のルイスは再び慌てふためく。
「リアお嬢様、しっかりしてください! 主治医がお見えになっていますから、すぐに呼んできますね」
 急ぎ足で部屋を出ていく小柄なルイスの背中を見つめながら、リアは気怠く息を吐き出す。
 前世と現世か、はたまた並行世界で生きるふたりの自分か。どう言い表すべきなのかわからないが、莉愛とリアが繋がったきっかけは事故だろうと予想する。
 莉愛としては暴走車に、リアとしては暴れ馬と正面衝突している。
 車に轢かれるその前に一瞬見えた馬が迫る光景がまさにそうで、体当たりで強く押し倒され、頭を打って意識を失った。
 両手を広げ見てから、そっと自分の頬に触れ、そして指先ですくい上げた髪の毛先に視線を落とす。
 長さは莉愛の時と同じで肩より少し長いほどだけれど、色は黒ではなくまるで蜂蜜のよう。
 どこか人ごとのような気持ちになるのは、体は確かにリア・ミルバルトなのにその記憶は断片のみで、思考は蔦田莉愛と言っていい状態だからかもしれない。
 リア・ミルバルト。心の中で自分の名前を繰り返すと、心に何かが引っかかった。重要なことを忘れているような、そんな気持ちになっていく。
 なんだろうと首を傾げた瞬間、莉愛だった時の記憶がふっと脳裏にチラついた。
 自室の机の上にいつでもパッケージのイラストを見られるようにと並べて飾り置かれた『フラワームーンナイト』の1と2。それぞれに攻略対象が描かれていて、1はルーシアス王子、2はスカーレット王子と、メインキャラが目立つ構図となっている。
 再び引っ掛かりを覚えたけれど、ズキっと頭が痛んで思考は途切れた。
 こめかみを指先で揉みながらリアは改めて室内を見回す。分厚い本がぎっしり詰まった本棚に圧迫感を感じ、なおかつ三つあるうちふたつの窓がカーテンで閉められているからか、部屋は薄暗い。
 リアとしてはそんな部屋で静かに過ごすのが好ましく、唯一開かれた窓の近くの椅子に座って読書をするのが至福の時間なのである。
 しかし、莉愛的には今すぐカーテンを開け放ち、陽光で部屋を満たしたい。
 思いのままにベッドから降りようとした瞬間、部屋の外からバタバタと足音が聞こえてくる。
 慌てて元の位置に戻ると同時にバタリとドアが開いて、男性がふたりと女性がひとり、室内に雪崩れ込んできた。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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