【試し読み】無慈悲な皇帝の行き過ぎた純愛~前世は断罪された悪女でした~

作家:長野雪
イラスト:KRN
レーベル:夢中文庫プランセ
発売日:2021/6/25
販売価格:800円
あらすじ

「貴女との婚約は破棄することとなった」――ある時から、悪女として断罪された前世を、夢で追体験するようになった貴族令嬢のカティア。王太子の婚約者として我儘放題だった前世の行いを恥じ、今世では〝平凡に生きる〟と決意している。しかしパーティでも壁の花に徹していたはずが、なぜか隣国の〝冷血皇帝〟に見初められてしまって……!? 血のつながった家族さえも粛清したと言われている皇帝クリストフだが、しかし恐ろしい噂を感じさせない甘さで、カティアに情熱的に愛を注ぐ。――今度こそ、そなたを幸せにしたい。再びこの手をとってはくれないだろうか。

登場人物
カティア
悪女として我儘放題だった前世の行いを反省し、今世では平凡で平穏な人生を送ろうとする。
クリストフ
〝冷血皇帝〟と呼ばれ恐れられている。パーティでカティアを見初め妃として迎え入れる。
試し読み

「ソーニャ・ファシング。貴女との婚約は破棄することとなった」
 凍り付いた表情で淡々と言い放つのは、太陽のように光り輝く金色の髪と、夜明け前の空のごとき濃藍の瞳を持つ白皙はくせきの青年──いや、回りくどく言うのはやめよう、あたくしの婚約者であるコルネリウス・イヴァルー王太子殿下その人だった。
「な、にを……突然、おっしゃるの?」
 投げつけられた言葉の理解を拒み、あたくしは震える声で聞き返した。
「父上から貴女の父──ファシング侯爵へも通達がされている頃だろう。これは既に決定事項だ」
 冷徹な眼差しであたくしを睨み付けたコルネリウス殿下は、話はこれで終わりとばかりに踵を返した。
「お、お待ちくださいませ! 理由を! 理由をお聞かせくださいませ!」
 立ち止まって振り向いてくれたことに喜ぶのもつかの間、あたくしは殿下のその表情に震えた。見たこともないほどに嫌悪を露わにしていたのだ。
「理由だと? それは貴女自身がよく知っているだろうに」
「……なんですって?」
「王太子の婚約者であることを鼻にかけ、様々な者を貶めたこと、私が気付いていないとでも思っていたか?」
「っ! そんな……」
「あちらこちらで散財していることも知っている。金遣いが荒く高慢な妻など、我が王家には必要ない。貴女の父もそれをいさめるどころか推奨していると聞くしな」
「待って! お待ちください、コルネリウス殿下!」
 今度はもう、殿下は立ち止まってもくれなかった。部屋を去り際に「公の場で断罪されなかっただけ、ありがたいと思うのだな」という侮蔑の言葉を吐き捨てて。
「どうして……」
 あたくしの言葉は、殿下には届かなかった。王妃となるべく施された教育も、あれだけ無理矢理詰め込まれたのに全て無駄になった。
「あ、あぁ……」
 膝をつき、床にうずくまる。視界が自分の灰銀の髪で覆われる。侍女に整わせた髪は、いつもと変わらぬ輝きを保っていたけれど、あたくしの心はもはや光を望めなかった。
 一人残された城の一室で、あたくしの嗚咽だけが部屋に響いていた。

────という夢を見た。
「……また、あの夢」
 私はこめかみのあたりに張り付いた髪を指先ではがす。この悪夢を見た朝は必ずと言っていいほど酷い汗をかいている。今回だって例外じゃない。早鐘を打つ心臓をそっと手で押さえ、大丈夫だから落ち着けと自分を宥める。そして、視界に入ったココアブラウンの髪に安堵のため息を吐いた。そう、違う。
「あれは、私、じゃない」
 自分ではない誰かの歩んだ人生を、いつの頃からか私は夢で追体験するようになっていた。最初の頃は、よくある悪夢だと思っていたのに、それを連続して見るようになると、さすがに自分の頭がおかしいのだと本気で疑うようになった。様子がおかしいことに気付いてくれた母がいなければ、きっと私は家に引きこもっていたに違いない。
『遠い東の国には「前世」という考え方があるらしいの。もしかしたら、カティアが見たのは前世の貴女の記憶かもしれないわね』
 自分の頭がおかしいのかもしれないと止まらない涙を拭いながら嘆く私に対して、あちこち文献をひっくり返して説明してくれた母には、感謝してもし足りない。
『お母様、それなら、私は前世でひどい女だったのです。それこそ、婚約者であった王太子殿下から憎々しげな眼差しで睨みつけられるほどに』
『それはカティアであってカティアではないわ。それに、その前世の女性を誰よりも知るカティアなら、その女性のようなひどい女にはならないでしょう?』
 母のその言葉で、まだ幼い私は、決してあんな女にはならない、と誓いを立てた。
 前世のソーニャ・ファシングという令嬢は、自分が一番でなければ気が済まない女だった。王太子の婚約者になれたのをいいことに、金に糸目をつけずに装飾品やドレスを買い漁り、自分のいない所で王太子に近付く女性をことごとく泥棒猫と決めつけて様々な手段で排除し、自分の我儘を許容してくれた侍女たちも使い潰した。最終的には嫌気が差した王家に婚約破棄されたけれど、あんな女と婚約していた王太子が不憫だと思う。
 前世を反面教師にした私は、頂点を目指すなんて恐れ多いことは考えず、身の丈に合った幸せで満足し、安定した生活を望むのが一番だという考えに落ち着いたのだ。現に、私の婚約者は良くも悪くも凡庸な人で、優秀過ぎず真面目で堅実な考え方をする人だ。あぁ、堅実。なんて良い響きだろう。
「お嬢様、お目覚めですか?」
「えぇ、開けてもいいわよ」
 私の許可に入ってきたのは、子どもの頃から私についてくれている侍女のサンドラだ。十も年上の彼女にはもう二歳の娘がいる。
「本日のパーティーは久しぶりに婚約者のハンネス様のエスコートで出席なさるのですから、腕によりをかけて……あら」
 サンドラはベッドから上体を起こしたままの私を見て、目を見開いた。
「もしかして、また……ですか」
「そうなの、またなの」
 サンドラは、私が夢を見始めた頃から側についている古参の侍女だ。起き抜けに汗をびっしょりとかいている私を見て、すぐにそうだと分かってくれたのだろう。本当にありがたい。
「お着替えの前に身体を拭いたほうがよろしいですね。すぐに用意いたします」
「サンドラ、わざわざお湯を用意しなくてもいいわ。だって、今日はみんな忙しい日でしょう?」
「しかし……」
「それに、冷たい水のほうがしゃきっと心も引き締まると思うの」
「……かしこまりました。お嬢様がそうおっしゃるのでしたら」
 すぐに用意してくると言い置いて部屋を出ていくサンドラを見送り、私はのそのそとベッドから降りた。いつもならサンドラが開けてくれるカーテンを自分で開けると、清々しい青空……ではなく、やたらと灰色の雲の多いどんよりとした空が広がっていた。
「嫌ね、せっかくのパーティーなのに」
 今日は隣国からやって来ている視察団の歓迎パーティーが王城で催されることになっている。我が国で権勢を誇る一部の高位貴族など限られた面々しか出席できないのだが、なんと我が家も、そして私の婚約者の家も招かれているのだ。ただし、権威によるものではない。ただ単に隣国と共同で進められている街道敷設事業に関わっているという理由からだ。街道敷設、あぁ、なんて地道で堅実な響きだろう。父や兄はあれこれ頭を悩ませているようだけど、大きな馬車が余裕で通れる広い道を敷設し、それが商人たちの行き来を楽なものにすることで、両国の経済的な結びつきも深まり、互いに発展をするその礎になる素晴らしい事業だ。地味だなんて言ってはいけない。
「大丈夫よ……、ちょっとパーティーに顔を出すだけだもの」
 窓の外を眺めながら、自分を元気づける。けれど、この灰色の空が、まるで夢の中で見た空と同じ色彩いろに見えて仕方なかった。

◆───────◆───────◆

「今日も一段と素敵ですね、カティア嬢」
「ありがとうございます。ハンネス様も格好いいですわ。そのチーフは、あのエッシャー工房のではありませんの?」
「いやぁ、目ざといですね。先日、付き合いで購入することになりまして……」
 私の婚約者であるハンネス・レーマン様は、決してやり手でもないし、見目が麗しいわけでもないし、とにかく善良な方だ。ありふれた黒髪を綺麗に撫でつけていて、焦茶の瞳を優しげに細めて、私が緊張しないように囁くような小さい声での雑談に応じてくれている。先程話題にした有名な工房のチーフだって、仕事上の付き合いとかその場のノリで買うことになったんだろう。そこでもう一歩踏み込んで、婚約者のために小物でも買ってくれていたら良かったのだろうけど、有名な工房だけにお値段もそれなりに張る。そこで散財しない堅実さを私は好ましいと思っているので、別に腹も立たない。ちょっと残念に思うぐらいが丁度いいのだ。
「ハンネス様は、隣国の方々とお仕事をなさることも多いのでしょう? やっぱり文化の違いとか大きかったりしますの?」
「そこまでの違いはありませんね。ただ、あちらのトップ──皇帝陛下はまだお若いですから、ぐいぐいと国を引っ張っているエネルギーを感じることは多いですね」
「そうなんですの? 国のトップが違うだけで変わるものなんですのね」
 大広間に集められた我が国の貴族たちを見ながら、そっとため息をつく。何度も夢に見る悪女ソーニャでさえ、王太子の婚約者という立場上、周辺国の情報は頭に叩き込んでいた。だというのに、今のこの国は貴族令嬢がそういったことを勉強することをあまり歓迎しない。女はいつも笑顔を湛えて伴侶を癒し、子を生せばそれでいいという風潮なのだ。だから私は、何も知らないフリをする。
────ヴィンドボナ帝国。我が国の西に隣接するこの大国は、私が幼い頃は不正と賄賂に満ちていたのだそうだ。円熟した国の体制にあぐらをかいた貴族たちが、私腹を肥やすべく様々な手段で富と財を吸い上げていて、重税にあえぐ民も多かったのだとか。それを大きく変えたのが当時皇太子だった現皇帝クリストフだった。若さゆえか癒着や不正を嫌い、皇太子時代に腐った貴族を粛清して粛清して粛清して……ついたあだ名が『冷血皇帝』。そりゃ自分の祖父にあたる貴族まで断罪してれば、冷血と言われるでしょうよ。
 そんな冷血皇帝のおかげで風通しがよくなった隣国は、疲弊した国力を回復すべく様々な事業に乗り出している。もちろん、うちの国と共同で進めている街道敷設事業もその一つだ。大規模な費用の元手は粛清した貴族の溜め込んでいた財だとか噂されているけれど、経済が回るなら良い使い方だと私は思う。
「カティア嬢?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていましたの。主賓はまだなのかしらって」
「そうですね。少し、予定から遅れているようですが……あぁ、いらっしゃるようですよ」
 忙しなく動いている城勤めの侍従や給仕の様子に、ハンネス様が大広間の奥の扉に視線を向けるよう言ってきた。私よりもずっとこういう場に慣れているハンネス様が言うのなら間違いないんだろう。後で、その判断のポイントを聞いてみたいのだけど、嫌な顔をされてしまうだろうか? そういうことは男性に任せなさい、とか何とか。
 そうこう考えているうちに、ハンネス様が言った通り、奥の扉が開き、年嵩としかさの貴族に先導されるようにして隣国の視察団が姿を現した。
(……って、先導しているのは宰相閣下じゃない? 私だって何度か見たことがあるわよ。そんな方が案内役につくなんて────)
「まぁ、あの方は……」
「視察団に交ざっていらっしゃるというのは本当でしたのね」
 ざわつく貴族たちの囁きを耳にして、私は視察団をもう一度よく確認する。そして、すぐに気がついた。
「ハンネス様、あの御方は……」
「あぁ、驚きましたね。僕も絵姿でしか存じ上げないのですが」
 そう、登場した視察団の中で、一際目立つ男性がいたのだ。光を束ねたような金髪を首の後ろにまとめており、整った顔のパーツは精巧に作られた人形のように温度を感じさせない。サファイアの瞳は大広間の灯りに照らされてもなお深い理知の色に沈んでいた。確かに容姿が優れているが、そういうことではない。何というか、その男性がいる場所だけ空気が違う。それぐらいに目を引く存在だった。
 周囲でひそひそと囁き交わされる会話から、彼が何者なのかという情報はすぐに拾い取れた。
(あれが、クリストフ皇帝陛下……!)
 隣国の冷血皇帝だというその人をもう一度見て、私はようやく高位貴族ばかり集められたこのパーティーの意図に気付いた。いや、我が家は共同事業に噛んでるってだけで違うけど。
 大規模な粛清をしまくっただけあって、冷血皇帝クリストフには未だ伴侶どころか婚約者もいない。帝国の貴族はよほど後ろ暗いことがあるのか、婚約者候補として手を挙げただけで、あちこち痛い腹も痛くない腹もほじくられて領地没収だの左遷だのされてしまうと思っているようだ。我が国としては、友好の証に高位貴族の令嬢をうまく送り込みたいというところなんだろう。今なら帝妃として隣に立つのも夢ではない。
 視察団に続くようにやってきた国王陛下が帝国との街道敷設事業の有益性などを口にし、パーティーの開始を告げるのを聞き流しながら、私はなぜか冷血皇帝から目が離せないでいた。
「カティア嬢、どうかしましたか?」
「いえ、何でもありませんわ」
 金髪に藍色の瞳という組み合わせは、夢で私を断罪した婚約者──元婚約者を思い出させる。顔の作りまでは似ていないけれど、彼を視界に入れているだけで、胃の辺りがすぅっと冷えていくような居心地の悪さを感じていた。扇で口元を隠し、ため息をついて不快感をやり過ごす。
 何とか自分の視線を隣のハンネス様に戻すと、彼は心配そうに私を見つめていた。
「やはりカティア嬢も容姿と地位に見惚れてしまいますか」
「婚約者の前で肯定したら、浮気になってしまうのではないかしら。目の保養にはなりますけど、あちらのご令嬢方のようには振る舞う気はありませんわ」
 ハンネス様に「ご覧になって」と扇で指し示した先には、それこそ獲物を狩る目をした令嬢方と、それを後押しするかのように強い目を向ける保護者たちがいた。噂に聞く冷血皇帝がそう易々と狩られるとは思えないけれど、隣国まで来てこれでは、ご愁傷様と言いたくなる。それとも、それを折り込み済みでやって来たのかしら。自国では見つからない伴侶を探しに。
(それでも、下手に権力があると大変そうね)
 そう、私は決めたのだ。平凡かつ安定した一生を送るのだと。だから、あの令嬢方のようにギラギラせず、その様子を隣の婚約者と眺めながらこのパーティーも過ごすのだ。
「最初のダンスは身分の高い方だけが踊るのでしたよね?」
「あぁ、ここでは陛下と妃殿下、もしかしたら皇帝陛下も踊るかもしれませんが、下手なパートナーとは踊れないだろうから、おそらく断るでしょうね」
 私は念のためにパーティーの作法を確認するというおバカな子を装いつつ、列席者をざっと確認した。正直、うっかり粗相もできない高位貴族ばかりが目につくので、ハンネス様と二人で通行のお邪魔にならない壁際に逃げておきたい。だけど、少し離れた場所に設けられている軽食スペースが気になるのもまた事実。困った。けれど、高位貴族の口にするようなものだから、きっと美味しいに違いない。
「カティア嬢?」
「申し訳ありません。少し、緊張しているようなのです。今日はずっと隣に……というのは難しいですよね」
「そうですね。正直なところ、僕も付き合いのある方々へ挨拶をしなければなりませんし」
「えぇ、ハンネス様の足手まといになるのは心苦しいです。ですから、ダンスが終わった後は、あのあたりの壁でひっそりとパーティーの様子を眺めていようかと」
 私が指し示したのは、軽食スペースにほど近い壁だ。さすがにあからさまに軽食を食べるとは言いにくい。
「そうですね。僕も一通りの挨拶が終わればすぐに迎えに行きます」
「ありがとうございます」
 ハンネス様の優しさに感謝しつつ、列席者の中で位の低い私たちは、王族や高位貴族が踊らなくなってきたタイミングでさりげなくダンスを披露した。もちろん、注目なんて浴びるはずもない。そこからは予定通りに私は壁の花に。
(言いがかりとかをつけられないよう、ちょっと様子見をしておくべきよね)
 壁に馴染みつつ、軽食スペースをチラチラ確認する。やはり高位貴族はがっつかないのか、そこにはまだ誰もいない。チャンスに思えてしまうかもしれないが、誰もいないところへ行けば、自然と目立ってしまうだろう。それだけは避けなければ。
 軽食スペースに人が来ない理由は簡単だ。誰もが帝国の視察団と、何より冷血皇帝に少しでもアピールをしたいのだ。望みが叶って話しかけることができている人はいるが、周囲で話が一段落するのを待っている人がその三倍はいる。
(だいたい、冷血皇帝にアピールするって言ったって、全員ができるわけがないじゃない。ちょっと考えれば分かるでしょ?)
 よほどツテがある人、権力を持つ人でなければ話もできないだろう。待っている人はそれが分からないんだろうか。いや、分かっていても、微かな可能性にかけているんだろうなぁ。特にご令嬢の中には「少しでも目を向けさせれば、私の魅力を分かってくれるはず……!」なんて謎の自信を持っている人もいるようだし。
(やっぱり権力を持つ人は大変よね)
 私は先程から真面目くさった顔でニコリとも笑わない冷血皇帝を見た。頭がキレる方のようだから、自分が獲物になっていることも理解しているんだろう。それでも国同士の関係を悪くするわけにはいかないから、話しかけてくる人を無下にできないんだろうな。本当に大変だ。
 そんなことを思っていただけなのに。
(……!?)
 冷血皇帝と視線が交わった。その瞬間、彼の藍色の瞳が少しだけ大きく見開かれたような気がした。
(って、何をバカなことを考えているのよ)
 この距離で、壁の花になっている私なんかと視線が合うわけがない。何かの弾みでこちらを向いて、一生懸命アピールしている周囲の誰かが彼を驚かせるようなことを言ったに違いない。────だというのに。
(どうして視線が動かないわけ……?)
 あの冷血皇帝に見られている、という可能性に、私の背筋がひんやりと凍るように冷たくなっていく。不快に滲む冷たい汗で、シルクの手袋が肌にはりつくようだった。扇を持つ手も情けなく震えている。

※この続きは製品版でお楽しみください。

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