【21話】魔性の色男は鋼鉄処女を蕩かせる

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 わたしは反射的に顔を上げた。そこにはいつも余裕を崩さないクリューガー氏の困ったような顔があった。形の良い唇が心なしか、不満を表すように少し尖って見える。
「……泣かないでくれないか、胸が痛む」
 むにむにと頬肉を動かして無理にわたしの口を笑顔にしようと試みているらしい。いや、そんなことされても笑えない。それに、さっきの言葉は……。
「わたし、堅苦しい女って言われているのですが」
「ああ」
「冗談とか、わからなくて真面目に返してしまうのですが」
「実直なのは美徳だな。私はいいと思う」
 否定せず、私の言葉を聞いてくれる優しい声に甘えていいのだろうか。
「意中の人、というのは」
 ああ、心臓が痛い。喉が渇く。
「もちろんザシャのことだ」
 にこりと形のいい唇がつり上がる。その笑顔があまりにも男前で目眩がした。さすが……さすが色男! なんという決め顔! なんという必殺技! 彼はこの顔だけで全人類のおよそ半分近くを制圧できてしまうではないか!?
「ありがとう、ございます」
 一生分心が満たされたような気がした。今まで満たされていなかった分も、これからの分も。わたしの全てがクリューガー氏で満たされた気がした。なんという贅沢さだろうか。
「……では、ザシャ。私を名前で……」
 ずい、と身を寄せられてわたしは反射的に氏の美しい顔を手で押しのけた。
「それとこれとは違います。もうすぐ父親になろうという方がそれではよろしくない」
 わたしは今日のことを一生の思い出として生きていくことにしたのだ。その決意を無にして欲しくない。せめてクリューガー氏は幸せな家庭を築いてもらわないと。
 しかしそこにかすかな齟齬が生じた。クリューガー氏の周りの空気がぴりりと張り詰めたのだ。
「父親に? ……まだ仕込んでもいないというのにか?」
「仕込むって……そのような直接的な……」
 頬が熱くなる。わたしだってものを知らぬ子供ではない。どんな行為をして子を成すのかは承知している……実際に体験していないだけで。
「いや、しかし父親になるのもやぶさかではないんだ。きっとザシャと私の子なら可愛いに違いないからな」
 クリューガー氏は押しのけようとするわたしの手を強引に払うと腰を抱き寄せた。互いの身体が密着し、図らずも下半身がいつかのようにすり合わされる。
「いえ、そうではなくて」
 いつわたしの子のことなど話題にしたというのか。わたしが話したいのは今まさにクリューガー氏の婚約者殿のお腹に宿っている新たな命のことなのだ。上半身をよじって避けようとするが足の間に膝を入れられ身動きがとれない。
「ん? 私はいつでも構わない」
 可愛いザシャ、私の子を孕むか? と耳朶を甘噛みしながら囁くこの男は悪魔かなにかだろうか……氏の言葉は即効性のある毒のようだ。わかっていても甘受してしまいそうになる。
「いいえ、いいえクリューガー文官!」
 ひときわ大きな声をあげる。もう終わりにしなければ。いつまでもクリューガー氏に心を残していてはお互いのためにならない。
「こ、婚約者の方が妊娠しているとか……おめでとうといった方がよろしいですか」
 わたしが知っているとわかれば氏はきっと引いてくれるだろう。引き留めてまで関係を続けようとはきっとなさらないに違いない。それこそこじれる元だ。
「婚約者?」
「ええ」
「ザシャではなく?」
 だから、何故そこでわたしの名前が出るのだ。婚約などしていないというのに。
「軍幹部の元上司の、お嬢さんだとか」
 もう知っているのです、と首を横に振り見上げるとそこにはぽかんと口を開けたクリューガー氏の少し間抜けな顔があった。
「お相手は妊娠されていると聞きました。だからクリューガー文官は結婚して軍部に戻られると既に噂になっていますよ」
「まさか! 上司の娘となどベッドを共にしたこともないというのにそんなわけあるか! しかも軍幹部と縁続きなど死んでもごめんだ!」
 クリューガー氏の憤った声にわたしが目を丸くするとああ、そうかと合点がいったように氏は何度も頷いた。
「そうか、ザシャはその噂を鵜呑みにして私が軍部に戻ってしまうと思ったのだな」
 いつもはきら星の如く輝いているクリューガー氏のエメラルドの瞳が怪しく光った。それは優しいというよりもなにか、物騒な輝きに満ちていてわたしは気圧されたように口を噤んで小さく頷いた。するとクリューガー氏はそうかそうか、となにかに納得しながらわたしを横抱きにした。
「うわっ!? ク、クリューガー文官、なにを!?」
「実際には存在しない婚約者に悪いと思って、頑なに私の名前を呼ぶことを拒否したのだね?」
 抵抗するわたしなど意に介さず、氏は大股に短い廊下を進みわたしをベッドの上に下ろす。そして自身もベッドに上がるとわたしを閉じ込めるように両手をついて顔を寄せる。
「大好きなキスにも応えずに」
 視界いっぱいにクリューガー氏が広がる。ああ、こんな幸せなことがあっていいのだろうか。宝石のような瞳が今はわたしだけを映している。

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