【20話】魔性の色男は鋼鉄処女を蕩かせる

作品詳細

 わたしはドアを見た。あの向こうにクリューガー氏がいると考えただけで胸が苦しい。ああ、もしかしてわたし、人生で初めて乙女っぽい気持ちになっているのでは、と思い至ってほほが緩んだ矢先、ドアの向こうから更に低い重低音が聞こえてきた。
「ザシャ、今すぐ開けないとドアを蹴破る。これは最後通牒だ」
 十数える、と重低音は宣う。
 え、ま、まさかね。本当に蹴破るなんてあるわけないよね。そもそもここのドアは結構厚くて頑丈な作りで……
「どうせ蹴破れないだろうと思っているようだな。よし、ではご期待に応えよう……ドアが粉々になる様を見るといい……」
「あああああ、開けます! 開けますからお待ちください!」
 ただならぬ気迫をドア越しに感じ取って、わたしはつかの間浸った乙女心を放り投げた。
 
「目が赤い」
 ドアを開けるとクリューガー氏はほっと肩の力を抜いて、すぐにわたしの目元を撫でた。
「具合が悪そうだったと聞いたから……心配した」
 目元から頬、首筋を優しく滑る手のひらが熱くてなんだか泣きそうになった。手の温度は変わらないのに、この人の手はもう誰かのものなのだ。そう思うと喉の奥が震えた。
「さ、触らないでください……クリューガー文官」
「それだけどね、ザシャ。どうして君は私をそんなふうに他人行儀に呼ぶのだ?」
 大きな手がわたしの顎を捉え強引に上を向かせる。エメラルドの瞳から見据えられ心臓が跳ねる。彼の視線は嘘を許さないと言っているように感じた。
「だって、わたしはファーストネームを呼ぶほど親しくないですし……」
 自分で言ってぐさりと刺さる一言だった。わたしは所詮、ただの暇つぶしで、飽きたら簡単に捨てられる程度の……玩具のようなもので。知らずに伏せられた目からはまた、涙がにじんできた。おかしい、わたしの目は壊れてしまったみたいだ。鋼鉄の女なんて言われていたけどわたしはそんな立派なものではなく、丈夫な鋼の鎧を身につけ強くなったつもりの愚か者でそのメンタルは一皮剥いてしまえばあっけないほどにもろい。
 そんなわたしがクリューガー氏の名前を軽々しく呼ぶなどおこがましいにもほどがある。
「ザシャが呼んでくれないなんて、私の名前も可哀想に……」
 クリューガー氏はまた私の顎を持ち上げて目線を合わせる。その瞳はさっきよりも柔らかくほぐれているようでなんだかむず痒くなる。
「わたしでなくとも、呼んでくれる人はたくさんいらっしゃるでしょうに……」
 どうも拗ねたような言い方になってしまった。でもこれ以上どうしろというのだ。わたしの恋は終わったのだ。クリューガー氏はもうすぐ軍部に戻って、幹部のお嬢様とご結婚なさって……父親に、なるのだ。それを邪魔することは出来ない。
「アロイスだ。言ってごらん」
「いえ、だから遠慮します……」
 視線を逸らすが氏は許してくれない。空いた手を腰に添えるとぐっと引き寄せられる。
「アロイスと……。うまく呼べたらご褒美にキスしてあげよう」
 キス……!
 形の良い唇が甘美な言葉を紡ぐ。どきりと胸が高鳴るけれどわたしは唇をへの字にして耐えた。ここで誘惑に負けてしまってはいけない。
「ご、……ご遠慮申し上げ……んんっ!?」
 しかしわたしの抵抗もむなしく、唇が重ねられた。それはごく浅く唇の表面をすりあわせるようなものだった。
「ならば聞き分けのないザシャのような悪い子にはお仕置きだな。罰として名前を呼ぶまでキスし続けることにしよう」
 クリューガー氏はちゅ、ちゅ、と音を立てたり押し付けるだけのキスを何度も繰り返す。激しく舌を絡め合ったり喉奥まで犯すようなキスを知ってしまった私には、それはひどく緩慢で物足りなく感じてしまう。温度は同じなのに、クリューガー氏の唇なのに。もう少し、もう少しだけ奥に、来て欲しい。無意識のうちにわたしの唇が薄く開いたが、それでもキスは深くなってはくれない。
「ザシャ、これは罰だと言っただろう?」
 でも、クリューガー氏。たとえ罰だとしても、わたしたちがキスするごとに罪は重なっていくのです。貴方と貴方の婚約者の未来を壊しているのです。
 わたしはなんて罪深い。そうと知っていながらこの腕を振り払うことが出来ない。もろもろと湧きだした罪の意識と後悔が涙となって流れた。こんなこと、してはいけなかった。わたしは『鋼鉄のザシャ』のまま朽ち果てたら良かったのだ。後から後から流れ出る涙にクリューガー氏が気付いてため息をつく。
「……そんなに私の名を呼ぶのがいやか? もう私とのキスは飽きたということか?」
 そうじゃない、そうじゃないのです。でも本心を伝えたところできっとクリューガー氏は困ってしまうか、去ってしまうかの二択だろう……いや、困って去ってしまう、のが正しいのか。自分に引導を渡すことも出来ずにただもろもろと涙を流すわたしを、クリューガー氏はどう思っただろう。ひときわ大きなため息をついてわたしの頬を拭った。
「この歳になると女性の涙にも免疫が出来たと思ったが……意中の人ともなるとそうでもないのだと思い知らされる」
 え。
 いま、なんと。

作品詳細

関連記事

  1. 魔性の色男は鋼鉄処女を蕩かせる

    【18話】魔性の色男は鋼鉄処女を蕩かせる

  2. 【4話】クールで口下手な専務の溺愛プロポーズ

  3. 【19話】恋甘キッチン~溺愛社長の一途な独占欲~

  4. 【21話】強引御曹司に注がれる溺愛の味

  5. 【17話】強引御曹司に注がれる溺愛の味

  6. 消えない恋心、君だけを愛してる

    【2話】消えない恋心、君だけを愛してる

  7. 【2話】強引御曹司に注がれる溺愛の味

  8. 消えない恋心、君だけを愛してる

    【22話】消えない恋心、君だけを愛してる

  9. 【3話】強引御曹司に注がれる溺愛の味

Column

  1. 「甘えた男とチョロイン事典」(夢中文庫/水口めいさん漫画・深志美由紀原作)
  2. 「甘えた男とチョロイン事典」(夢中文庫/水口めいさん漫画・深志美由紀原作)
  3. 「甘えた男とチョロイン事典」(夢中文庫/水口めいさん漫画・深志美由紀原作)
  4. 甘えた男とチョロイン事典
PAGE TOP