【29話】堕ちて幸せ!?~復讐に燃える完璧令嬢は魔王の花嫁になりました~

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終章 悪役令嬢は魔王の手で幸せになる

 その後のことはよく覚えていない。
 意識に膜がかかったようで、私は無気力にベッドに横たわっていた。
 クラリッサのこともシリル王子のことも、どうでもいい。
 ──ただ、何も考えたくない。
 昼も夜も分からなくなり、誰かが持ってきた食事の匂いがした覚えがあるけれど、食べる気もしない。
 決まった時間に、必ず誰かが隣に入り込んできたかもしれない。
 抱きしめられて温もりを感じた──ような気がする。
「すまん」と何度も謝る言葉が耳に入ったかもしれない。けれど、濃霧に包まれたような私の意識には、何も響かなかった。
 ただ、深い森の底にいるみたいな安堵に包まれたまま、私はさなぎのようにずっと眠っていた。

 ──いや、一つだけ届いていたものがあった。

 時々聞こえる「愛している」という言葉、唇に押し当てられる柔らかな感触。
 優しく、優しく、髪を梳いてゆく指。
「許して欲しい」と許しを乞う、震えた声。

 誰かのシトシトと降り注ぐような気持ち──愛情が、閉じた私の心の奥に届いていた。
 慈雨のようだ。
 私の顔に降り注ぐ、天からの慈雨。
 細くなった指が頬に落ちた雫を拭って──、私を見下ろして泣いている彼の目元を拭う。
「……なんで、泣いてるの?」
 細くかすれた声に、彼は赤い目を瞠った。
 ──綺麗な目。
 ルビーみたい。
 そのあと彼は、クシャッと子供のように破顔した。
「……ライラを愛しているから、涙が出る」
「……魔王が泣くなんて、変だわ」
「魔王だって、妻を傷つけて後悔したら泣くさ」
 彼の頬に向かって伸ばされている腕が、随分細いのに気がつく。
「……みっともない腕」
 私の呟きに、彼──ルーファスは困ったように笑う。
「生命エネルギーは分けることができても、食べてなければ……そうなってしまうな」
「……食べてない……?」
 私はあまりよく覚えていない。
 何だかずっと眠っていたような気がしたけれども──。一体いまはいつなのかしら?
「……お水、飲みたい」
「ゆっくり起こすから」
 そう言ってルーファスは私を抱き起こし、ベッドのクッションを幾つも重ねて私を座らせる。
 目の前でルーファスはベッドサイドにある水差しから、綺麗な模様が刻まれたグラスに水を注ぐ。
 コポコポという水音が、耳に気持ちいい。
 ルーファスの横顔は記憶にあるよりもずっと、鋭利な輪郭になっていた。
 頬は少しこけて、目の下にクマがある。頬や顎には少し無精髭まで見えて──。
「……どうしたの?」
 水面を震わせるような声が、彼をいたわる。
 自分でも自分の声はもっとしっかりしたものだと思っていたので、少し驚いてしまった。
「ん?」
 優しい顔でこちらを振り向き、ルーファスは私の唇にグラスを寄せる。
「……ん、……く」
 少しずつ唇が濡らされ、まず口腔が潤う程度に水が入った。
「……甘い」
 私の体は、水の甘ささえ忘れてしまっていたように干からびていた。
 そこから先は、私は我を忘れたように懸命に喉を鳴らして水を飲む。
「焦らなくてもいいからな」
 私が咳き込むのを心配したのか、側でルーファスはとても気遣った表情をしている。
「……っは……」
 プハッと息をつくと、少し頭がスッキリしたように思えた。
「ありがとう。美味しかったわ」
 水はやっぱり、すべての恵みの源なのね。
 そう思っていると、ギュッと抱きしめられた。
「……ルーファス?」
 彼の香りがする。
 深い森の底にいるような、しっとりと清涼な香り。
 ──あぁ、私ずっとこの香りに包まれていたんだわ。
 記憶がなかった間、私はこの清涼な匂いに包まれて安堵していた。
 真っ暗な絶望の底にいたような気がしたけれど、何も気負わず意識を解放したそこには、心地いい森があった。
 ──彼に、包まれていた。
「……ありがとう。ずっと側にいてくれたのね」
 細くなってしまった腕を動かし、彼の背中を優しく撫でる。
「……ライラ」
 広く逞しい背中は、かすかに震えていて──。
「もう、泣かないの。大きいんだから」
 まるで母親のようなことを言うと、ルーファスも同じことを思ったのか微かに笑った。
「食べたい物、ないか? 他に何か欲しい物は?」
 少し体を離して私をいたわってくる彼に、私は緩く微笑む。
「じゃあ、消化にいいものを少し食べたいわ。あとあなたは、その無精髭を剃ってきて。魔王がそんな姿をしていてはいけないわ」
「は……、ははっ。了解」
 心底嬉しそうに笑い、ルーファスは白い歯を見せる。
 それから私の額にチュッとキスを落とし、アンに向かって何か魔法の道具で連絡をとった。
 続き部屋にある洗面所の方に消えると、鏡を見たのか「あー……」と言う声が聞こえる。
 その間、私はふとベッドの横にある姿見を見てギョッとしていた。

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