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【29話】無慈悲な皇帝の行き過ぎた純愛~前世は断罪された悪女でした~

作品詳細

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(やっぱり負担になってると思うの……)
 昨晩、ニノ様から「しばらくは腕輪を着けるチャンスを窺っているふりをしてください」という無茶ぶりをされた私は、今日もいつも通りにスタム先生の講義を受け、庭園には一切近寄らず、部屋でぼんやりアンニュイな休息を取っていた。刺繍枠に布を貼り、帝国の紋章を刺してみたものの、気もそぞろだったせいか、出来はいまいちだ。糸の引き加減がまちまちになってしまったおかげで、模様がよれてしまっている。
(集中できないときに、刺繍なんてするものじゃないわね)
 できあがったハンカチを眺めながら、大きくため息をつく。
「姫様、少しお眠りになられてはいかがでしょうか」
「?」
「その、お疲れなのではないかと思いまして……」
 女官の勧めの裏にあるものに気づき、私は赤く染まった頬を両手で押さえた。
(本当に、なんてことをしてくれたのかしら)
 誰かの目や耳を気にすることなくクルッグ侯爵との会話を相談できたことには、すごく感謝している。その対応のためにただでさえお忙しい方々をさらに忙しくさせてしまったことも、申し訳ないと思っている。
(でも、この弊害は……)
 あの夜、部屋を抜け出した私とクリストフ様の代わりに寝室に残ったのは、声色が得意な方々なのだそうで、いわゆる『愛し合う者同士の熱い夜』というやつを控えている護衛や女官に聞かせてくださったそうなのだ。あんな状況でクリストフ様が渡ってこられたのだから、それを信じさせる工作が必要なことは分かっている。けれど、女官や騎士から、なんとなく生温かい視線が向けられているのは、地味にきつい。まさしく「昨晩はお楽しみでしたね」状態なので。しかも、かなりの情熱的な夜を演じてくれたようで、あまりの熱愛に結婚待ったなしどころか、お世継ぎも近いのでは? とそわそわする女官もいるほど。
(さすがにやり過ぎでしょうよ……)
 大声で違うのだと叫びたいけれど、さすがに誰がクルッグ侯爵の手の者なのか分からない以上、そんなこともできない。
「そうね、少しだけ休ませてもらってもいいかしら?」
 私はカウチに横になる。うっかり寝台に向かってしまうと、あの二人がいったいどんな演技をしてしまったのかと想像してしまいそうで怖い。
 目を閉じた私に、女官がブランケットを掛けてくれたのが分かった。気遣いが嬉しい。
(そういえば、サンドラもこうしてくれてたわ)
 実家の侍女を思い出すと、鼻の奥がつん、となった。ここで涙を流してしまえば女官に心配されるし、クリストフ様にまで伝わってしまうかもしれない。堪えなければ。
 視界を閉ざし、身体が温まると自然と力が抜けてうとうとしてくる。本気で寝るつもりはなくて、ちょっと女官の視線に耐えられなかったので、それを避ける口実に横になったのだけど、昨晩のクリストフ様たちとの会話で気疲れしていたのか、私はゆっくりと微睡んでいった。
――――そして、夢を見た。
 心臓が痛い程に激しく拍動を繰り返している。足ももう限界だけれど、ここで止まれば行く先は死しかない。あたくしは力強い手に引かれながら必死に足を動かしていた。
「くっ、こちらにも……」
「あたくしのことは置いて逃げて。そうすれば、貴方は助かるはずよ」
「貴女を一度裏切った身で、もう一度見捨てろと?」
 酷なことだとは分かっている。けれど、このままでは貴方も死んでしまう。誰からも見捨てられたあたくしを、たとえ一時でも貴方が拾い上げてくれた。それだけでもう十分なのに、これ以上の幸福はいらないのに。
「断る」
 月明かりに照らされた彼の真剣な顔に、あたくしの瞳が潤む。あたくしたちの位置を知らせないようカンテラさえ付けていないけれど、月が明るくて良かった。この顔が見られただけで幸せだ、と信じてもいない神様に感謝したくなった。
ヒュンッ
 鋭い風切り音と共に飛来した矢が、近くの木に刺さる。うわついた心が一気に冷えた。追っ手があたくしたちを見つけたのだ。
「こっちだ。つかまれ」
 ぐい、と手を強く引かれ、あたくしの身体が彼に抱き込まれる。一瞬の浮遊感と耳元にばさばさと枝の当たる音とに血の気が引いたが、直後にずん、と衝撃が響く。ちょっとした崖を飛び降りたのだと気付いた。
「まだ走れるか」
「えぇ」
 本当はずっと前に限界を超えていたけれど、あたくしはできるだけ気丈に振る舞って見せた。彼が諦めていないなら、あたくしもまだ、諦めることを諦めようと。
 そうなると今度は月明かりが疎ましくなってくる。さっきは彼の真剣な表情を照らし上げてくれたけれど、雲一つない夜空に浮かぶ丸い月は、逃げるあたくしたちの姿も照らし出してしまうから。

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