「咲、おはよう。よく眠れたみたいだな」
「り、諒太郎!? どうしてここにいるの?」
「どうしてと言われても。昨夜泊まらせてもらったからだが」
「てっきり帰ったと思ってた」
「あんな状態の咲を一人きりにしておけるわけがないだろう。本当に顔色が悪かったんだぞ。声も元気がなかったし。──うん、でもいまはだいぶ良くなったな」
わたしの顔を覗き込んで、諒太郎は安堵したように笑う。彼が、カッターシャツにスーツのボトムのままであることに気づいた。
「お風呂とか寝るところとか、どうしてた?」
「風呂はいまからシャワーを借りようと思って。寝場所はソファだ」
申し訳なさすぎる。よし、朝ごはんは諒太郎の好きなベーコンエッグと、サラダにヨーグルトにクロワッサンを用意しよう。
「朝ごはんは俺が用意するからな。咲は大人しくしていろよ」
「う……。わかりました」
いまの目つきは会社の鬼上司のものだった。逆らうと怖いやつである。
交代でシャワーを浴び終えてから、リビングで朝食をとった。諒太郎が用意してくれたのはバタートーストと目玉焼き、紙パックの野菜ジュースだ。
休日の朝に、諒太郎が家にいる。ものすごく不思議な気分だ。シャワーを浴びたばかりの諒太郎は、さっきと同じシャツとパンツを身につけている。布地が少しヨレていても、それがまたいい味つけになるからイケメンは得だ。
「食欲はあるか?」
「大丈夫、食べられそう。ありがとう」
朝食をありがたくいただいて、わたしは諒太郎に遠慮がちに言った。
「いまから団地のほうにお母さんの様子を見に行きたいんだけど……」
「今日くらいは休んでいたほうがいいんじゃないか?」
諒太郎は、テーブルの上の食器をまとめながら眉を寄せる。
「親御さんたちも、咲が会社で倒れたと聞いたらマンションで大人しく休んでいるように言うだろう。──まさか、そのことを親に話さないつもりか?」
「……いつもなら言わなかったけれど」
でも、こういうときに助け合うことができなければチームでいる意味はないと、諒太郎が言っていた。
そのとおりだ。自分一人で抱え込んだって駄目なのだ。どうしたって限界はやってくるし、そうなったとき周りに心配を掛けてしまうことになる。
わたしは諒太郎を見つめ返した。
「でも、ちゃんと言うよ。いまのわたしの状況を知ってもらって、今後のことを考える」
「よし!」
諒太郎は、笑いながらわたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。朝陽の中で見る彼の笑顔はあまりにも爽やかで、攻撃力が抜群だ。
わたしが頬を熱くして見とれていると、諒太郎はテキパキと動いてお皿を洗い、それから、部屋のスミに置いてあったわたしのカバンを持ってきた。
「ケータイはこの中だよな。いますぐ弟さんに連絡をして、咲のいまの状況を伝えるんだ」
「あ、でも、団地に行って直接話そうと思ってたんだけど……」
「却下」
上司モードの諒太郎には逆らえない。翔に電話して、昨日会社で倒れてしまったことを話した。
すると翔は、絶句したのちに暗い声を出した。
『ああ、もう。母さんに続いて姉さんも。あーもう……』
「ごめんね、翔。でも安心して。病院に行って薬をもらってきたから、すぐに元どおりになるから大丈夫だよ。今日もそっちに行くつもりだし──」
『そういうことじゃなくて!』
わたしはびっくりした。翔が荒げた声を出すのを、何年かぶりに聞いたからだ。
電話口で、翔は気を落ち着けるように息をついた。
『大きな声出してごめん。こっちは大丈夫だから姉さんは休んでて。会社は休暇取ってるの?』
「うん、三日間の有給もらってる」
『そっか、良かった。その三日間こっちに来なくていいから、家から一歩も出ちゃダメだよ。ゆっくり休んでるんだよ。僕、いまからそっちに行ってごはん作ったりするから待ってて』
「えっ、いまから?」
わたしは慌てた。翔は掠れた声で小さく言う。
『姉さんも母さんも無理しすぎだよ。お願いだから、自分のことをもっと大切にして』
「翔……」
『僕も、二人からもっと頼りにされるような男になるから。だからちゃんと休んで、姉さん』
翔の声が震えていたから、わたしは胸が締めつけられた。目の奥が熱くなる。
「うん、わかった。ありがとう、翔」
『ん。それじゃあ、いまからそっちに行くね』
「あっ、それはいいの。ええと、ほら、お付き合いしてる人がいるって言ったでしょ? その人が家に来てくれてるから──」
『カレシさんが? そっかぁ、そうなんだ』
翔は嬉しそうな声になった。
『なら安心だね。カレシさんによろしくお願いしますってお伝えしておいて。あと、近いうちに紹介してね。じつは孝ちゃんから情報を回してもらってるんだけど、会社の上司さんで、すっごいイケメンのお相手らしいじゃない』
あのおしゃべりめ……! あのときはまだ付き合っていなかったのに孝ちゃんに恋人判定されていたのかと思うと、ものすごく恥ずかしい。わたしはそういう雰囲気を醸し出していたのだろうか。
通話を切って、諒太郎に「大人しく休んでるように言われた」と伝えた。諒太郎は「当然だ」と言って、突然わたしを抱き上げてきた。