【4話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

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 一通り施術を終えると、ナディアは奥に下がった。
 疲れた腕が重い。
 陶器の洗面器に張った湯にハーブを落とし、そこに両手をつけて肩の力を抜く。
 集まった客人のうち、髪を整えたのは三名。豊かな金の髪に香油を馴染ませながら高く結い上げる――そこまでがナディアや髪結い師の出番だ。
 そのあとはほかのものにまかせ、客人たちが髪飾りをあれこれと試すなか、ナディアは休憩にサロンを後にしたのだ。
 髪結いはひとに教えることもあるし、サロンにはほかにも髪結い師もいる。しかし客人たちにはナディアの施術を希望するものが多く、今日もふたりの髪を結っていた。
 奥の部屋――私室に近いもので、ナディアの私物で雑多な見た目となっている。しかしナディアにとって居心地のいいものだ。
 洗面器から手を上げ、脱ぐとベルを鳴らす。
 きびきびした動きでリョースが現れる。
「お茶でよろしいですか? 一緒になにかお持ちしますので、それも食べてください」
 ナディアが頼むより先にそういい、彼女は足早に出ていく。
 働きもののリョースは、せっかちだといってよそを解雇されたところを、アルカンタス家が雇い入れた。本来ならアルカンタス家に仕えるだけで済むはずが、サロンや薬局の手伝いまで頼んでしまっている。人一倍多忙になってしまっているが、前の雇い主だけでなく、彼女もせっかちだと自称していた。このくらい仕事があるほうがちょうどいい、といってくれている。
 疲れた手指を揉みほぐしながら、運ばれたお茶でのどを潤す。まだ客人たちはサロンに残っているが、ナディアとしては一仕事終えた気分になっていた。
 近くにある鏡台の鏡に目を向けると、そこには金の髪を背に流したナディアが映っている。
 うぬぼれでもなんでもなく、ナディアの髪は美しい。
 客人たちはナディアのその髪にあやかりたい、と遠慮なくいう。美しい髪を持つナディアに施術してもらい、近づこうというのだ。
 部屋には大きな棚が壁に居並び、すべてに香油や薬草の類が収納されている。
 髪を美しくすると謳われるものや、アルカンタス家で開発したもの、異国から取り入れた香油などもある。
 すべてナディアは自分の髪で試していた――その結果が、現在の美しい髪だ。
 使い続けているものは数種あり、しかしあれこれ試しすぎて、正直なところどれが決め手になっているのかわからない。
 おそらく、継続して手入れをしていることが大きいのだろう。
 それをサロンの客人に説明するのはよしている。結い上げるときに香油を塗りこめば、ひとまず美しい仕上がりになるのだ。価格の張る、しかし効果を確約できていないものを使い続けるというのは、ひとに勧めていいものではない。
 ナディアが目指すのは、ひとに勧められる香油や施術だ。
 近隣や遠方など点在し飛び地となっているが、アルカンタス家は広大な平地を所有している。
 広がる畑でつくられる薬草――そこからつくられる薬が主立った収入源だ。
 毛生え薬が看板だが、多く売れているのはほかのものだ。手荒れ薬やかゆみ止め、虫除けや目薬などの、日常的に使われるものである。
 サロンを活性化させようとするナディアに、ひとを集めて家への出資者でも募るのか、と揶揄するものもいた。
 ――ナディアが欲しいのはそれではない。
 実際にアルカンタス家の毛生え薬を使ってくれる人間を、もっと増やしたかった。
 現在でも使った人間すべてに効果があるのではない。
 使った全員に効能がある、と自覚してもらえる薬を、父ならばつくれるはずだ――ナディアはずっとそう考えていた。
 それを確かめるには、使ってもらうことが大切だ。
 試作品などを毛を剃った動物で試したりするが、人間とでは効能が違う気がする。動物どころか、人間同士でも効果のほどが違ったりもするのだ。それはナディアの髪の手入れも同様で、艶が出たと思った香油でも、ほかのひとの髪では効果が見られなかったりする。
 ナディアのサロンに親しみを持ってくれているのは、主に若い女性たちだ。
 そこから根づいていければ、女性たちの近親者で薬を必要とするものが目を向けてくれるようになる。近親者が足を運ぶ場所なら、薬を必要とするひとでも出向きやすいのではないか。
 ほど近い場所にある鐘楼しょうろうから、定刻を告げる鐘の音が聞こえてきた。
 尾を引くようにあたりに鳴り響き、近隣に住むものたちが昼と夜とを区切る目安にするものである。
 ナディアは残っているだろう客人を見送ろうと、サロンに足を向けた。鐘の音とともに、サロンは閉じられることになっていた。
 サロンに続く扉の横、ミランダの従者であるゴードンが立っていて足を止める。
「いかがなさいましたか?」
 深々と頭を下げてから、彼はサロンのほうを一瞥した。
「主人からのことづけです。よろしければ、ナディアさまに少しお時間をいただけないかと」
「ミランダさんが?」
 執事のゴードンや給仕たちが、客人をサロンから送り出す声が聞こえる。扉にはめこまれたガラス越しに、鮮やかなドレスの客人たちが連れ立って玄関ホールに向かう姿があった。
「私はかまいませんが……なにかありましたか?」
 施術中、喫茶室の窓際の席に腰を下ろした彼女はお茶を楽しんでいた。ときどきナディアが髪を結うところを見物しており、いつもどおり過ごしていると見ていたのだ。
「申しわけありません、内容については私では」
「そうですね、いまミランダさんは?」
「中庭に降りられてます。お時間をいただけるようでしたら、お呼びいたしますので」
 喫茶室――サロン自体は、鐘が鳴ったら完全に閉鎖する。暗闇に乗じて毛生え薬を求めるひとが訪れやすいよう、そうする方針を採っていた。
「かまいません。お話をうかがいます」
 話があるなど、ミランダになにかあったのだろうか。まさか客人同士でなにか起こったか。
 不安になったナディアは、明かりを落とした喫茶室越しに中庭に面した窓を背のびしてうかがう。ゴードンが歩いていく姿があった。

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