【37話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

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 調剤室の扉を開くと、廊下に見知らぬ女性が立っている。ミランダとのやり取りから、彼女が侍女なのだとわかった。
 侍女に化粧箱を渡し、ナディアは玄関ポーチに向かう。
 気づけば給仕長も後方に続き、自然とナディアの目は、いないはずのセフェリノたちの姿を探してしまっていた。
 自分で整えたものながら、結った髪はミランダによく似合っている。
 微笑んだ彼女が待機していた馬車に乗りこみ、出ていくのを見送った。
 散っていく屋敷のものたちの足音を聞きながら、ナディアには薬の完成が待ち遠しくなっていた。
 セフェリノの髪も美しかったのだ――失われてよいものではない。
 あの髪を取り戻してほしかった。
 狙われているのだという彼が無事に帰ってくるよう祈り、ナディアもまた調剤室へと戻ったのだった。

   ●

 忘れないうちに、と王家が使っている香油について書き出したナディアは、サロンに帰りたくなっていた。
 やはり誰かの髪の毛を整えるのは楽しい。
 ミランダの髪を整えていて、その気持ちが強くなった。
 レオラ王国では美しい髪は誇るべきものだ。
 それが整えられていき、鏡のなかにある顔が目を輝かせていくのがうれしい。
 夕食後に寝室に下がったナディアは、王家の香油についての覚書を眺めた。
 調剤室にあるものでは足りないが、サロンに戻れば似たものを用意できる。なにもかもをゴードンに頼むのは悪いから、どこかで一度戻れないか交渉してみよう。
 こつり、と音がして、ナディアは耳をそばだてた。
 もう一度、こつりと音がする。
 寝室の窓から聞こえていた。
 またこつりというので、ナディアはそちらに足を向ける。カーテンを開くと、そこにあるのは夜だ。暗く視界がきかないなか、ガラスに向けて小石が投げられている。
 窓を開くと、少し先にある植えこみから手が生えた――腕が生え頭が生え、それはセフェリノになっていく。
「なにをして――」
 口元に指を立て、セフェリノが黙るようにと伝えてくる。
 そっと身を低くし、彼は窓に近づいてきた。
「ナディア、窓を乗り越えられる? 部屋はそのままでいいから」
「できるとは思うけど……」
「じゃあこっちにきて」
 意図がつかめず、しかしセフェリノの顔に浮かぶ表情から、求めたところで説明はないだろうと思われた。
「散歩にでも出るの?」
 室内履きから靴だけ履き替え、ナディアは窓枠を乗り越えた。おもてに出るときにはセフェリノが手を貸してくれたが、そこからまた戻るのは難しそうだ。
「部屋からふつうに出ていくと、この間みたいに人目につきそうだから」
「ま、待って。こんな格好でどこに……」
「いいから、こっちこっち」
 建物はぐるりと植えこみと高い塀に囲まれている。
「塀の何カ所かに、外に出られる隠し戸があるんだよ」
 しかし目の前のセフェリノがそれを開くまで、そこに隠し戸があるなどナディアはわからずにいた。
 隠し戸の先は雑木林で、あまり使われていないのだろう、足元は獣道にさえなっていなかった。
 ナディアが驚かされたのは、そこに明かりを携えて待っていたのがゴードンだったからだ。
「ど……どうしたの……?」
 明かりはすぐに覆いがかけられ、できる限り月明かりで進もうという提案がされた。
「すぐそこだから」
 口を開ける雰囲気ではなく、ゴードンとセフェリノとに挟まれて歩きはじめた。
 屋敷で見ていた地図を頭に思い描きながら歩くと、どうやら遊歩道と逆に向かって歩いている。
 以前セフェリノとともに、ゴードンが馬で戻るところを見ていた。あそこでゴードンが使っていた道を目指しているようだった。
 雑木林の只中を突っ切るため、足場が悪い。吹く風も冷たく、肌寒さが凍えに変わっていったころ、ナディアは先にある道に馬車が停まっていることに気がついた。
「セフェリノ」
「うん、あれに乗るよ」
 なぜ、という言葉を口にすることなく、ナディアは足を動かした。
 馬車の扉につけられた窓、そこのカーテンが動いたのだ。
 のぞいたものに、ナディアの足は突き動かされるように歩きはじめていた。
「お……お父さま」
 ナディアの姿に気がついたのだろう、窓にあった顔が目を見開き、扉が開かれた。
「どうして……お父さま」
「ナディア、こっちへ!」
 距離があるが、確かに父の声だ。
 息せき切って走り、転びそうになったもののセフェリノに助けられ、ナディアは道へと進んだ。
「ああナディア、無事でよかった!」
 馬車を降りて待っていてくれた父アロンソ・アルカンタスは、部屋着でやってきたようだった。ナディアもそうだったが、セフェリノたちを見れば彼らも軽装である。外出する服装ではなかった。
 とにかく、と馬車に乗りこむと、外気を遮断しただけでも温かくてほっとする。それは四人ともおなじで、全員が息をつくとかすかな笑いが起きていた。
 向かい合わせにすわった父は、実験生活に追われてか憔悴した様子だった。
 走り出した馬車がどこに向かっているのか尋ねることもないまま、アロンソは話しはじめた。
「おまえからの手紙を読んだよ。ネズミになにも変化がないと」
「え、ええ。なにも起きなくて……」
「私が書き忘れていたんだ。ネズミの毛を剃らず、そのまま塗るようにと」
「そうだったの? あれはなんの薬だったの?」
 では自分のしていたことは、まったくの無駄だったのだ――ナディアは気が楽になっていた。効果が出なかったのではない。すべてが手違いだった。毛を剃ってしまってネズミたちには悪いことをしたが、果物を多く振る舞ったからそれで手打ちにしてほしい。

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