【35話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

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「僕はナディアを休憩させるから、ゴードンいってきてよ」
「ナディア殿の休憩は賛成です。顔色が悪すぎます――ゆっくりできるよう、セフェリノさまも私といらしてください」
 口をとがらせたものの、セフェリノは抵抗せずゴードンにしたがっていった。
 ふたりが出ていくと、調剤室がとても静かに感じられる。
 調剤室の一角にある鏡をのぞいてみると、セフェリノから話を聞いたからだけでなく、顔色は悪かった。
「みんなも休憩しようね」
 話しかけ、ネズミに干した果物の欠片を振る舞っていく。人間そのものには慣れているようで、ナディアの指先からネズミは果物を受け取る。ちいさな手ににぎられた果物は、あっという間に彼らのおなかにおさまっていった。
 ネズミたちの背は、一様に剃られた地肌が剥き出しになっている。
 父から与えられた処方に使われたものは、さほどめずらしいものではなかった。その薬効がなんなのか――一度間違えて取り落としそうになり、ナディアの手にかかったがなにも起きていない。手は洗った後に赤くなることもなく、処方を間違えているのでは、と考えたことがあるほどだ。
 ナディアは元々サロンで立ち働いていた身である。
 サロンで立ち働いていたときの、充実した時間を思い起こしていた。誰かに喜んでもらえる――役に立っているという充足感は、ナディアをとりこにするものだった。
 いまなにも起きていない元気なネズミたちを前にすると、父からの依頼に対し、自分はとくに役に立っていないのでは、と後ろ向きな気分がひどくなる。
 暗い思考というものは、もっと暗いものを連れてくるのが得意だ。
 元気にかごのなかを動きまわるネズミたちは、進展のなさそのものに見えた。
 ふと、考えてしまった。
 自分はなにも期待されていない――父に対する人質なのではないか。
「ああ、もう!」
 いやなことを考えてみても、なにひとついいことなどない。
 こういうときは、とりあえず動こう。そう思って室内で首を巡らせるものの、実験の後に掃除はしてあり、手紙は書き終え、することがない状態だ。
 サロンではないから、ほかにできることが思い当たらない。
「特別よ、今日だけ」
 窓際でもう一度、ネズミたちに果物を振る舞う。幸運さなど感じないだろうネズミたちは、一回目とおなじ勢いで果物を平らげていった。
 立った窓越し、敷地から馬車が出ていく。
 セフェリノとゴードンが乗ったものだろう。
 ――出かけてしまった。
 ひとりになってみてわかるのは、彼がいてくれると安らげるということだ。
 サロンではずっと彼をミランダ――女性だと思い、大好きな友人だと信じていた。友人に対するものとしては過剰な気持ちだったものだが、最初から男性として現れていたらどうだろうか。
 いまのように、胸を占める存在になっただろうか。
 最初から、国王陛下だと知っていたら。
 狙われている状況で彼が出かけていくのが怖い。護衛ならば、ゴードンは彼が狙われている立場だと理解しているだろう。彼と一緒なら安全なのか――むしろ、一箇所にいないほうが。
 頭のなかを、不安が駆け巡る。
 こればかりは答えが出ないものだ。ナディアは両手で頭をつかみ、揉みしだいた。
「……そうだ」
 時間ができたのだ、ひさしぶりに自分の髪の毛を結って遊んでみよう。レオラ王国で定番の香油とされているものも、この調剤室には置かれているし、ゴードンがサロンから色々運んでくれたものもある。
 櫛を部屋から取ってきて、と気を取り直したナディアは、馬車が邸内に入ってくるところを窓に見つけていた。
「セフェリノ?」
 彼が戻ったのか、と思ったが、出ていった馬車とはべつのものだ。屋敷への来客なら自分に関係はないだろう。
 部屋に戻って櫛を手に取り、調剤室に引き返すとそこに人影があって驚いた。
「えっ」
「失礼しております。おひさしぶりですね」
 ネズミのかごの前に、ミランダが立っていた。前回顔を合わせたときよりも、公式の場に出る礼服に近い格好をしていた。
 さきほどの馬車に乗っていたのは彼女か。ナディアは微笑む彼女に礼を取る。
「申しわけありません、無断で扉を……」
「勝手に入ったのは私です。いかがお過ごしですか」
「父から実験の指示がありましたので、それを反復しておりました。経過を手紙にして、ゴードンさんに届けていただいております」
「まあ、それはいかがでしたか?」
「残念ながら、毎日ネズミを増やして実験していきましたが、変化は見受けられなくて」
「そうですか……」
 彼女の目は手にした櫛に注がれていた。
「今日は時間が空いたので、ひさしぶりに髪を整えようかと……指が鈍るのが怖いので」
 いいわけがましい声が出ていたが、ミランダは顔を輝かせた。
「じつはお願いしたいことがあってうかがいました」
 背に隠れていたが、ミランダは化粧箱を持参していた。黒光りする表面に貝殻が飾られた、美しい品だ。
「このあと、婚約者との食事会があります」
 彼女の手ずから開かれた化粧箱には、いくつかの瓶などがおさまっている。底には小箱があり、そこには髪飾りがあった。
「婚約者の家族も一緒です。ですので……ナディアさまに髪を結っていただけないかと」
「……私でいいんですか」
 思わず訊き返してしまった。王家なら専属のものがいるだろうし、一介のサロンの主が承っていいものか。

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