【30話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~

作品詳細

 そのとき、どこからともなく音が聞こえた。
 瞬時にナディアの身体は強張った――知っている。二度と聞きたくない音だった。
「ほ……放火……!」
「ナディア、こっちだ」
 セフェリノに手を取られ、ナディアは脇道に入っていた。
 そこにまた音が聞こえた。今度はさっきよりも近い気がする。
 それはアルカンタス家でも聞いた、あの轟音そのものだった。
 セフェリノの髪を焼いた、忌まわしい火を思い出してしまう。
 あちらこちらから、悲鳴や怒号が上がっていた。駆け出しているのはナディアたちだけでなく、恐慌をきたしたと思しき集団がいくつもでき上がっていた。
「あ、あそこ!」
 大きな看板をナディアは指さす。飴細工の工房のものだ。
「あの先にいって、お願い!」
 セフェリノは怪訝そうにしたものの、ナディアの言葉を飲んでくれた。
 後方では悲鳴が上がり、野次馬がそちらに駆けていく。黒煙が上がっていく空を目にすると、全身の鳥肌が立って息を呑んだ。
「セフェリノ、あの看板のところに」
「薬局?」
 彼のいうとおり、ナディアがしめしたのは薬局のものだ。ただし異国のもので、薬剤にくわしいものが立ち寄る店になっている。
 遠方から二度響き、悲鳴と黒煙をもたらした轟音に、そのあたりに店を構えるものたちも顔色を変えていた。
 現場と思しき場所からは距離もあり、轟音はもう続いていない。そちらの道に近づくことは考えるだに恐ろしいが、逆にいえばセフェリノに危害を加えた犯人がいる。捕まえてやりたい、というのも本心のひとつだった。
 苦い思いを胸のなかで噛みしめる間にも、ふたりの足は通りを進んでいた。
「あら! ナディアさんじゃない!」
 上のほうから声がかかり、ナディアはそちらを見上げた。
「なにかあったみたいだけど、大丈夫だった?」
「私たちなら大丈夫!」
 目的地である建物の二階、そこの窓から、老婆のちいさな顔がのぞいている。
「ナディア、ここは」
「知ってるひとの店なの、あの方は店主のお母さま。ここに寄りたくて」
 セフェリノに小声で説明する。そこは父の昔からの友人が経営する薬膳の店であり、あまり流通していない薬草が集まっている店ともいえた。
 二階建ての小振りな建物で、一階にある薬局は店を閉めていた。なかから開けてくれた老婆は、コートを着て外出する支度を調えている。
「お出かけだったんですか?」
「そうなの、届けものがあって……出ようとしたら大きな音がしたから、ちょっと怖くって引っこんでたのよ」
 ふたりを招き入れ、老婆はほおに手を当てて肩を落とす。
「お友達と一緒のときに悪いんだけど、ちょっと留守番を頼める? 煙の上がってたあたりに、足の悪い患者さんがいるのよ。不安だからそこをのぞいて、それから届けものにいきたいの」
 店を閉めているだけでは駄目なのか――セフェリノと顔を見合わせる。
「若いときに住んでた国で内乱があったのよ。あんなひどい音がしたあとは、暴漢が出たりしたから……店に誰かいないと不安で」
 暴漢が出るなら、ナディアたちが店番をしたところで役に立たない。そういった悪漢が出没しそうな状況でもないだろうが、そんな心配をするならおもてに出ないのが一番だ。
 しかしそれで老婆の気が済むなら、とナディアはうなずいた。
「ちょうどこちらにある文献を見させていただきたかったんです。留守番の間、見ていても?」
「いいよ、いつもどおり散らかってるけど、いっときかそこらで戻るから。一階の本棚、半分くらい二階に移したの。一階になかったら、二階を見てくれる? お茶も自由に飲んでてかまわないわ」
「お店にほかの方は? 戻られたときに、私たちがいたら驚かれるでしょう」
 セフェリノが少し高い声で、丁寧に問いかける。
「息子だけだし、いまべつのところで調剤してるから。そっちものぞいてくるわ。ところでこの子? お友達ののどの悪い子って……確かに声が低いけど、傷めてるようではないわねぇ」
 こちらにセフェリノののどに効く薬がないか、そう問い合わせたことがあった――ナディアは明確な返事をせず、笑顔を返すに留めた。
 もうのどの悪い友達はいないし、薬も必要がない。
「お気をつけて」
「ごめんなさいね、ちょっといってきますから」
 平然とした顔で老婆に手を振るセフェリノと、薬局の扉を閉めて奥に進む。
 一階には患者の相談を受ける区画が狭いながらも用意され、壁は一面棚になり様々な薬剤の瓶が並べられている。雑多だが居心地のいい、整理のされた薬局だ。
 ただ――独特のにおいが立ちこめている。
「すごいにおいだ」
「ここの薬は具合が悪くなる前に飲んだり、慢性化してる症状によく効くのよ」
「具合が悪くなる前に?」
「そう、たとえばのどが悪くて声が低くなってしまった子がいるとして」
 壁の瓶を眺めていたセフェリノが、ナディアを一瞥する。
「のどが弱いんだろうから、そこに効く薬を日常的に取るようにするの」
 受付にあるポットをナディアは指さした。
「ここで売ってる薬草とかを、煮出して飲むの」
「……ここの?」
 セフェリノが鼻をそよがせる。はじめてここを訪れたおさない日に、確かナディアもそうしていた。
「そうよ。あんまり周知されてないんだけど、効き目はあるから」
「ここの……このにおいの?」
 ひっそりした問いかけに、ナディアは笑いそうになる。
「……効くから、しょうがないでしょう」
「できれば遠慮したいな」
 受付の奥、様々な物品が積み上げられた事務室があり、そこの奥に本棚が設置されている。前回訪れたときよりも、本棚がちいさくなっていた。老婆が話していたとおり、二階に移したのだ。
 ナディアはその本棚をのぞきたくて、セフェリノとともにここまで足を向けていた――二度もまた轟音を聞く羽目になったのは、まったくの予想外だったが。今回で犯人が捕まってくれるよう、祈るばかりだ。

作品詳細

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。