【13話】国王陛下の寵愛蜜戯~獰猛な独占欲~
「ご迷惑をかけちゃったわ、気をつけないと」
「あれは歓迎してくれています。お気になさらないでいいと思いますよ」
振り返ると、工房の職人がずらりと並んで見送ってくれている。ナディアに向かい一様に頭を下げた。
「いい仕事をくれるひとは神さまですからね。しかもその神さまが温厚だときたら、それこそ大歓迎ですよ」
「いい仕事……」
「そうです。買い叩いたり、難癖をつける連中はたくさんいますし。そういう意味じゃ、アルカンタスさまは評判がいいんです」
馬車に乗りこみ、車窓からもう一度見れば、彼らは笑顔で手を振っていた。
ナディアも振り返しながら、いつも用件は手紙でのやり取りで済ませていたことを後悔しはじめていた。
丁寧に対応されて、ナディアはうれしくなっていた。
サロンで自分も客人に丁寧に応じていこうと決めたとき、セフェリノのことを思い出して一瞬息が詰まった。
職人たちに話したような用事などはとくになかったが、御者は気にせず馬車を走らせている。
車窓には穏やかな景色が広がり、その向こうに建物が集まっているのが見えた。メトンという町で、そこを出て街道を進むと首都ナルトラムにたどり着ける。
おそらく馬車はメトンに向かっているのだろう。
黄色だった花の道が、赤いものに変わっていく。それも薬草で、むしろ薬効のない草花を見つけないでいるほうが難しい。
「……こんなに役に立つものばかり」
父は人手を欲しがっているが、薬の処方は悪用されれば厄介なことにもなりかねない。そのため、不用意に人員を増やしてはならない、と国より厳命されていた。ナディアも薬草の扱いには多少の心得はあるものの、サロンの運営に携わってから離れてしまっている状態だ。
馬車の車窓では、遠くちいさかった建物の群れが徐々に大きくなってくる。
遠かった場所に近づいていく、それだけのことで楽しくなっていた。民家の煙突からは煙が立ち上り、建物の数だけそこに暮らすひとがいる。ずっと屋敷にこもっていると、たくさんのひとがいるだけでもめずらしい光景になるのだ。
馬車はメトンに入っていき、中心部で歩みを止めた。
ほかにも同様に停まっている馬車がおり、顔見知り同士なのだろう、御者たちの間で雑談に花が咲いている。
首都ナルトラムにほど近い町のためか、往復する道すがらか、大荷物の商人も散見された。
地上に降りると、御者が放射状に成る道のひとつをしめす。
「あちらにある薬局に、よく旦那さまが立ち寄られております」
今度はべつの道を指す。
「あちらに花屋がありまして、ここにくるとかならず奥さまに花を買ってからお帰りに」
「え、お母さまに?」
まったく知らなかった。
母はほとんどアルカンタス家の薬草栽培や処方、サロン運営に関わっていない。
伯爵家としての貴族界隈とのつながりを、母がひとりで支えているといってよかった。
アルカンタス家は変わり種だ。
家柄は古く、由緒だけはある。
おこないは貴族らしからぬもので、周囲はおもしろがる向きだけではなかった。揶揄だけならまだしも、悪し様に罵られることもときにはあるという――そこに出ていく母だ。アルカンタス家界隈で一番気が強い。
先日の放火の件で、母は多忙になっている。
事件後に届く見舞いは手紙も品物も、訪れる客人も多くなっていた。そこに出ていくのも母だ。
両親はそれぞれが忙しく動いており、ナディアにしてみれば、仲睦まじく寄り添う姿を見ないものだった。
そのふたりが花を贈り、贈られている。
偶然知ったが、両親の関係はナディアにとって喜ばしいものだった。
誰に強いられるでも喧伝するでもなく、連綿と続いている。それは両親の間に育まれていくものだ。ナディアが名づけていいものではなく、これからも両親の間で続いていってほしかった。
「それでですね、あちらの道をちょっといきますと、小物を商う店がいくつか……」
御者がそこまでいったところで、おうい、と声がかかった。
その声は、雑談をしていた御者の一団からかかっていた。
「お知り合い?」
「ええ、同業の連中でして」
一団から帽子に羽根飾りをつけた男が出てきて、御者に親しげに話しかけてくる。
「なんだめずらしい、娘かい? おめかしさせてどこいくんだ。見合いか?」
おめかし、といわれて、ナディアは自分の身体を見下ろした。
「いやおまえ、そんな失礼な……」
御者が真っ青になっていて、ナディアは笑ってしまった。
「おなかも空いたから、私はどこかに入っているわ」
「お嬢さん、それならあそこの食堂が絶品だよ。ほら、あの看板」
男が道の先にあるパンの看板を指さすと、男の帽子についた羽根飾りがふわふわと揺れた。
「それなら私はあそこに」
「あの、申しわけ……」
「気にしないで」
ナディアと御者のやり取りに、羽根飾りの男は首をかしげている。
サロンで過ごす時間が長くなってしまったのだろう、ナディアは礼を尽くされる場にいると、居心地が悪いと感じるようになっている。
いい兆候ではない。
平民のように働き、礼儀を重んじる場が居心地悪いなど、貴族としては異例だ。
いまの生活はともかく、いずれ嫁いで暮らしが変わったときに悪影響をもたらしかねない。
――たとえばその相手が、女装して外出するような男ならべつだが。
彼の手がうなじにふれたときの熱を思い出し、ナディアは鼻の奥が痛くなっていた。
無事かどうかが知りたくてしようがない。
だがそれを知ったら、今度は顔を見たくなるだろう。
その先はどうなのか。
涙がにじんできて思わず上を向くと、教えられた看板が目と鼻の先にあった。
外出してメトンを通り過ぎることはあったが、訪れるのはひさしぶりだ。
最後に訪れたときはまだ子供だった。弟と一緒で、町長に用のあった父に連れられてのことだ。
町並みが変わったかどうかよく思い出せないが、以前もパンのいいにおいがしていた覚えがある。
のぞいた食堂の構えから、パンや料理を持ち帰ることもできるようだ。昼食時を過ぎており、席に空きがある。