【33話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~
患者と看護師という絶対的な立場だからこそ冷静に対処できたと言っても過言ではない。もしかするとそれも踏まえてヤマトは予想していたのだろうか。
『どうしても薬の効果を知りたくてな!』
飄々とそう言ったヤマトの顔を思い出してみる。その目は、その表情は? 本当に言葉通り軽いものだった?
――自分は初めての恋に目が眩んでいたのかもしれない。周りが見えなくなっていた。
けれど、疑問に思う事はもう一つあった。
「でもオズさんは、……本当は私と『番』関係になりたくなかったんじゃないですか? 本にも書いてありました。そこまで強烈な衝動を抱くのはある意味不幸なのかもしれないと」
「そんな訳ない!」
驚いたようにばっと顔を上げたキキルはそう叫んで首を振った。その声に自分でも驚いたのか口元を手で覆い、「ごめん」とニーナに謝罪した。
「……でもそんな訳ない。人間の君には分からないかもしれないけど、不幸に見えたとしても……僕達は幸せなんだ。『番』とずっと一緒にいられるならね。不幸になるとしたら……獣人に好意を持てないのに強引に攫われた人間の方」
「キキルさん」
訥々《とつとつ》と真摯に語られる声には悲愴感すら込められている。
キキルは、ぐっと拳を握りしめると真っすぐにニーナを見つめた。
「でも隊長はね。本当に君の事しか考えてなかった。第三王子の護衛としてやって来てから五年だよ。どれほど耐えていたのか、『番』がいる自分には想像だけでもゾッとする。どっかおかしいんじゃないか、って思うくらい」
「私の事しか考えてないって……」
「オズワルド隊長はね、五年前ここで『番』である君と出逢ったけれど、君が家族をとても大切にしている事を知ったんだ。うまく婚姻を結べたとしてもオズワルド隊長の身分からしてシュケルトに残る事はできない。オズワルド隊長は君を悲しませたくないとニーナ嬢の幸せをただ祈って、五年の任期を終えてエルティノに戻るつもりだったんだ」
「エルティノ……」
そうか。シュケルトでも婚姻を結べば男性側の田舎に引っ越し、新居を構える事が多い。ならば、オズワルドと結婚したとしたらエルティノに行くのは当然だろう。
町どころか国も違う。ここ数年は国交が盛んだとはいえ、それほど頻繁に行き来できるような距離ではない。
(オズさんの『番』になったら、もう家族とは会えなくなっちゃうかもしれないんだ)
仲の良い兄弟と賑やかな弟達の顔が浮かんでは、消えていく。
しかし生まれてくる赤ん坊にまで思いを馳せたところで、当然のように『オズワルドとの結婚』を考えた自分に気付いてしまった。
(私、……)
黙りこくったニーナにキキルは訝しげにしつつも、話を続けた。
「そして、自分の事を知りもしない『番』の……君の面影だけを縁に孤独に一生を終えるつもりだったんだと思う」
深く、人によっては重いと思うかもしれない愛情に、オズワルドの深緑色の瞳が重なる。
「……でも、『番』以外の同じ獣人と結婚する人もいるって」
「良く知ってるね。でもそれは『番』に出逢ってない場合だ。もしお互いその相手を見つけたとしたら揉めずに別れられるって利点があるから。でも一度出逢っちゃうとね。身体全部の細胞が『番』を欲しがる。それは身を切られるほど辛い。でもオズワルド隊長は全部分かって一人で耐えるつもりだった」
そこまで言ってキキルはそっと胸に手を置いた。大きな耳はペタンと後ろに倒れていて、俯いた光の加減でその瞳は見えなくなった。
獣人ではないニーナにはそれがどれほどの苦痛なのか想像すらできない。
けれどキキルの表情には鬼気迫るものがあり、オズワルドの性格を照らし合わせれば、おのずとその本心が見えた。
……どれだけ我慢強い人なのだろう。でもそうだった。最初からニーナは知っていた。注射の痛みにも、衝動にもただひたすら耐えて、意識がしっかりしてからは、ただただニーナを気遣っていた。
これまでにも何度もそう思った言葉を噛み締める。けれど同時に得体の知れない苛立ちが込み上げてくる。……オズワルドは本当に、見守るだけの愛を貫くつもりだったのだろうか。
想いの強さ、なんてこの一週間の間だけでも向けられた視線や言葉だけで、十分に伝わっている。
「まぁそうやって、表向きは秘密にしていたんだけどね。やっぱり近くにいる僕達部下には伝わっちゃうからさ。結構やきもきしてたんだよね。診療所に行った奴らもそんな感じで、むしろ良いチャンスだろ! ってけしかける部分もあったんだ。あの時は騒がしくしちゃってごめんね。で、話を戻すと、まぁ部下がそんな感じだからさ。上司にあたる第三王子にバレちゃってね……で、格好の実験体になっちゃったわけ」
最後は少し明るい声でそう締めくくったキキルだったが、ニーナはもう顔を上げる事もできなかった。つんと鼻の奥が痛くなる。
……自分は彼の半分でも、想いを返した事はあっただろうか。
能天気に業務をこなして、『番』だったらいいな、なんて夢見て、向けられたオズワルドやヤマトの優しさに気付かなかった。
「私、自分の事ばっかりでした……」
「騙した事には変わりないからね。仕方ないんじゃないかな?」
そう言ったキキルは、いつものように笑おうとしたが、途中で「いたた」と傷を押さえて苦笑した。