【32話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~
キキルの申し出に、ニーナは覚悟を決めてこくりと頷いた。少しでもオズワルドの気持ちが知りたかった。
とりあえず話を聞く様子を見せたニーナにキキルは、明らかに安堵したように息を吐きだした。
そしてようやくいつもと同じ人懐っこい笑みを浮かべて、話を切り出す。
「あのさ。うち――エルティノとシュケルトの国交が始まって二十年ちょっと経つじゃない? その割に騎士団以外の若い獣人達がシュケルトに来てないのは気付いてる?」
「そういえば……そうですね」
ニーナはキキルの言葉に頷く。確かにニーナが見た事のある獣人は騎士団、それに老齢の商人くらいだ。
「実はね。獣人の国エルティノから人間の国シュケルトに入国するには条件があるんだ。エルティノに『番』がいる獣人が基本的な条件だけど、騎士団はそれだと人数が揃わない。だから特例として『番』のいない騎士は常に三人以上で行動するっていう誓約書にサインをさせる」
(三人以上……そういえば、前にオズさんの部下が来た時も三人だった……)
「で、それはなんでかっていうと『番』を見つけちゃった時の暴走を食い止めるためなんだよね」
ある程度予想していた言葉にニーナは頷き、先を促した。
「獣人より人間の方がはるかに数が多い。だから人間を『番』にする獣人もこれから増えていく。だけど、それで問題になるのは僕たちの『番』に対する執着心だ。ニーナ嬢は知ってるかな? 僕達獣人は初めて会った瞬間から、理性が利かなくなるって」
「……本で読みました。誘拐騒ぎになる事もあるって」
そう。それにヤマトにも聞いたばかりだ。ぽんと浮かんだヤマトの飄々とした顔を思い出し、胸が重くなる。
「そっか。まぁヤマト先生の助手だし、勉強熱心だもんね。でまぁ、第三王子の婚姻でこれからますます仲良くしましょうって国で、そんな騒ぎ起こすわけにはいかないじゃない?」
「……そうですね」
「でね、前々からそんな暴走を抑える『発情抑制剤』の完成が求められていた。エルティノでも研究はされているけど、僕らは頑丈な分、医学の進歩はシュケルトの方が遥かに進んでいるからね。それで薬学の権威であるヤマト先生に白羽の矢が立った」
「え……っ国からの依頼だったんですか!?」
思わずニーナはそう聞き返す。てっきりヤマトの薬学への探求心からの開発だと思っていたし、ヤマト自身の口ぶりもそうだった。
「それも知らなかった? エルティノは勿論だけど、事情を知るシュケルトも合わせた二国からの命令だよ」
(待って、そんなの聞いてない)
国からの命令と、ヤマトの個人的な依頼では全く意味合いが違ってくる。
「でもどうしてそんな急に……今までだって研究してきたんですよね? 何か理由があってそんなに急いでいるんですか」
「来年エルティノの第三王子と、この国シュケルトの第二王女の結婚式があるだろう? その挙式にはエルティノの王子達が参列予定なんだけど、……何分若い上に純血の方がより強く抑制が利かないって言われてるんだ。挙式の後はたくさんの人間がお披露目の後に集まるんだよね? 彼らの『番』がその場にいたとしたら、か弱過ぎて庇護欲をそそり過ぎてしまう人間の女の子をいきなり拉致してしまうかもしれない」
「……そんな」
「そんな事情で国の命令により、もとより獣人にしては感情の起伏があまりなく、絶好のシチュエーションまっ只中にいるオズワルド隊長に、抑制剤の実験台として白羽の矢が立ってしまったんだ。オズワルド隊長は王族の血筋を受け継いでいるから、血も濃い。まさしく良いサンプルだった」
酷い、と言い掛けて、ニーナは口を噤んだ。医療の発達にはある程度検体は必要だ。動物であれ人であれ。端っこでも医療従事者として否定も肯定もできない。
「でね。これは国に属する人間として言いたくはないんだけど……国命だ。だから……本来なら言葉は悪いけれど、ニーナ嬢は有無を言わせずどこかに連れて行かれて、発情抑制剤を飲ませたオズワルド隊長と二十四時間一緒にいる事になったと思う。もちろん監視付きでね。ついでに言うと執事のレリックは人間だけど、第三王子の見張りでもあるんだ。逐一君の事を第三王子の耳に入れている」
キキルの言葉にニーナは言葉を失う。
――もし、薬が失敗しオズワルドが理性を失ったとしたら、ニーナは監視員達の前でそういった行為をされたのだろうか。
たとえその前に助け出されたとしても、恐らくニーナは恐ろしさしか覚えないだろう。どれだけ優しく美形だと言っても身体の大きな獣人だ。五年前の恩人だとも知らないまま、そんな目に遭えば、到底受け入れられないに違いない。
顔色のなくなったニーナを気遣うように、キキルは一度口を噤んだ。そして今度は迷うように何度か口を開いては閉じ、ようやく浮かんだのだろう言葉を口にした。
「……だけどヤマト先生がね、発情抑制剤と引き換えに国と取引したんだ」
衝撃に顔だけ動かしてキキルを見上げたニーナに、キキルはずれた眼鏡を慎重に押し戻して、言葉を続けた。
「少しでもニーナ嬢に時間をやってくれって。強制的にオズワルド隊長と『番』わせるんじゃなくて、治療という名目で触れ合ってオズワルド隊長の人となりを知って、できれば好きになってお互いの同意の元で幸せになって欲しいって」
「そんな、事……」
国からの命令なんて、逆らえる訳がない。もともとヤマトは王城に勤めていた人間で、背けば家族の命を取られてもおかしくないのだ。