【31話】お薬の時間です!~狼騎士隊長の担当看護師に任命されました~
……もしかすると――オズワルドは、ニーナと恋人関係や彼らのいうところの『番』という関係になりたくなかったのだろうか。
それなのにヤマトから『番』であるニーナも実験を望んでいる、なんて言われて渋々従った? そしてニーナが何も知らずに試薬実験をしている事を知り、――自分から遠ざけた。
(もしかして、オズさんは私がこのまま逃げる事を望んでいる……?)
ただの憶測だが、妙に説得力があったのは、オズワルドの人となりを知っているからかもしれない。犯罪にまで走るほどの衝動だ。生真面目なところもあるオズワルドが理性を食い尽くすような『『番』への執着』を疎んじていてもおかしくはない。
おそらく自分はちゃんとオズワルドと話し合った方が良いだろう。お互いの状況を説明して、どうしたいのか、どうするべきか。
ニーナは恐らく――いや確実に、オズワルドの事が好きだ。獣人だとしても、……いや、逆に寡黙な口よりも雄弁な耳や尻尾は好ましいし、むしろあれがなければオズワルドという気がしない。いつだってニーナを様々な温度で見つめてくる深緑色の瞳。どこまでもニーナだけを気遣い……甘やかしてくれる言葉や声が嬉しかった。それらは全て『しっかり者の長女』であるニーナがずっと我慢していたものだったから。
けれど、『番』というシステムを忌避しているかもしれないオズワルドは、自分の意志に反して、ニーナを受け入れようとしていただけかもしれなくて。
「もうやだ……」
――ならば自分は一体どうすれば良いのだろう。
そしてオズワルドはどうしたいのだろう。
ニーナは今度こそ本を放り出して、毛布にくるまり丸くなる。
オズワルドに会いに行く勇気は持てそうにない。目を瞑れば最後に見たオズワルドの感情の見えない瞳と冷たい声が蘇り、身体も心もいっそう重くなった。
――翌日。
ニーナの心とは裏腹に、外はよく晴れていて、窓から街の境界線まで綺麗に見える。
カーテンから差し込んだ光に目を細め、ニーナは湯上りの気怠い身体を窓に預け、溜息をついた。
結局あの後もひたすら悩んで、そのまま夜を明かしてしまい、すっかり忘れていた湯あみをしたのが少し前の事だ。
寝不足でぼうっとする頭を醒ますためにコーヒーを淹れる。
買い置きしてあった固いパンをスープで柔らかくしながら、もそもそと食べていると、部屋にノックの音が響いた。次いで大家の奥さんから声が掛かる。
「はい!」
部屋のノックは知り合いでもない限り、大家である。ニーナが若い娘だという事もあって、来客がある時はこうして中継に入ってくれるのだ。
実家から荷物でも送ってきたのかもしれない、とそれ以外の心当たりがないニーナは立ち上がって扉を開ける。
「おはよう。ニーナちゃん」
「おはようございます。どうかしましたか?」
思っていた以上に掠れた声に一度咳払いをすると、雑貨屋の奥さんは「おや、風邪かい?」と心配げな口調を滲ませた。
「いえ、大丈夫です。起きたてで声が出なくて」
「そう? ならいいけど……いやね、ニーナちゃんに会いたいっていう獣人の騎士さんが来ているんだけど、外で待ってもらってるの。窓から顔が見えるでしょう? 知り合いかどうか確認してくれる?」
「え? ……わ、分かりました!」
(まさかオズさん?)
ニーナは上擦った声で返事をして、弾かれたように窓に駆け寄る。
「……あ」
大きな黄金色の耳にふわりとした尻尾――店の軒先に立ち、道行く人達から注目を浴びていた獣人の騎士は……オズワルドではなくキキルだった。
安堵したようながっかりしたような複雑な気持ちに、ニーナの口から溜息が零れる。
そして昨日、オズワルドの部屋を飛び出した直後に、キキルに声を掛けられたのに返事もせずに逃げてしまった事を思い出した。
(オズワルドさんに言われて来たのかな……もしかして、もう来なくていいって言われる?)
もしかしてキキルに伝言を頼んだのは、オズワルドがニーナと顔を合わせたくないという拒絶なのだろうか。
泣き過ぎの寝不足の酷い顔を晒すのを躊躇していると、窓から顔を出しているニーナに気付いたキキルが、ぱっと笑顔になった。
「……え」
驚きに目を見開いたニーナと視線を合わせてひらひらと手を振る。ふさふさ尻尾は心なしか元気がないが……当然だろう。遠目でも分かるくらいキキルの顔には青痣ができており、トレードマークの眼鏡はつるはしが壊れているのか紐で固定されているが、やや斜めになっていた。男前が台無しになるくらいの惨状だった。
慌てて両開きの窓を開け、ニーナは身体を乗り出し、その顔を凝視する。
「ちょっと話があるんだ」
そう言ったキキルに、ニーナは周囲を見渡す。そして雑貨屋の主人に「知り合いです」と伝えると、ニーナの表情に何か思うところがあったらしい大家は、裏庭を貸してくれた。その心遣いに感謝して、身支度を整えたニーナは庭に向かう。たくさんの洗濯物に囲まれ立っていたキキルが、ニーナが声を掛けるよりも先にぱっと振り返った。
「あの、消毒しましたか?」
開口一番顔の傷を指さし、そう尋ねたニーナに、キキルは面食らったように目を丸くした後、小さく笑った。いてて、と引き攣ったらしい傷を上から撫でて「大丈夫」と頷く。
そしてすぐに、真面目な顔を作った。
「ニーナ嬢。少し僕の話を聞いてもらってもいい?」