【14話】溺甘弁護士の真摯なプロポーズ~三年越しの約束を、もう一度~
ドクンドクンと心臓が大きな音を立てている。手足も震えているし、もしかしたら声も震えているかもしれない。
それでも、今さら「なんでもないです」と退散するわけにはいかない。
なにより涙目で私を見上げる女性の瞳が〝助けて〟と言っているようで放っておけなかった。
「他人の進路に立ちふさがって立ち退こうとしない。身辺に群がって立ち退こうとしない。不安や迷惑を覚えさせるような方法で他人につきまとう。これらはあなたがしている行動にあてはまりますよね」
「だったらなに」
男性の瞳には怒りの色が滲んでいて、今にも飛びかかってきそうな気配があった。
女性はずっとこの恐怖と向き合っていたんだ。怖かっただろうに……。
「ちなみに軽犯罪法に違反した場合の刑罰は、拘留または科料です。拘留は一日以上三十日未満の間、刑事施設で拘置される刑で、科料は千円以上、一万円未満の金銭を徴収される刑です。軽い刑のように感じられますが前科がつきますので、その影響は決して小さくはないといえます」
六法全書に書かれている文章を脳裏に浮かべながらすらすらと述べる。
男性は奇妙なものを見るような目で私を見つめた。
「彼女の手を放してあげてください」
男性をなるべく刺激しないように落ち着いた声で伝えたが、やはり上手くはいかなかった。
「さっきからなんなんだよ!」
男性はこれまでで一番大きな声を出して女性を突き飛ばす。女性はバランスを崩して地面に尻もちをついた。
「大丈夫ですか」
慌てて女性のそばにしゃがみ込み、肩に手を置いて顔を覗き込む。
「すみません……」
女性の頬には涙の筋が伝っていて、触れた肩は小刻みに震えていた。
私が刺激したばかりに女性が暴力を振るわれてしまった。申し訳ないことをしたと女性に頭を下げる。
「私の方こそすみません」
先ほど男性は『別れるなんて許さない』と言っていた。だとしたらふたりは恋人関係にあったはず。
好きな女性をこんな目に遭わせてなんとも思わないの?
沸々と怒りが湧いてきたところで肩をグイッと引かれ、重心がうしろに移って咄嗟に地面に手をつく。
見上げると男性が私を見下ろしていた。瞳に怒りを溜め、少しでも刺激を与えれば爆発しそうな空気が漂っている。
事態を収束させるつもりが余計に男性を興奮させ、取り返しのつかないことをしたのかもしれない。
忌々しいものを見る目で睨まれて恐怖心から声が出なかった。
怯んでいる場合じゃない……。
とにかくまずは立ち上がろうと脚に力を込めたときだった。
「なにをしている」
静かな怒りを孕んだ声音が耳に届き、ハッとして声がした方に顔を向ける。
視界に飛び込んできたのは、男性のすぐそばに佇むスーツ姿の旭だった。そしてなぜか隣に加賀美さんの姿がある。
待ち合わせをしているのだから、ここへ旭が現れてもさほど驚きはしない。けれど加賀美さんがいる理由が分からない。
彼女の家は事務所から徒歩圏内なので、電車は利用しないと以前旭から聞いている。
加賀美さんは周りをきょろきょろと見回し、明らかにこの状況に困惑しているようだった。
いつの間にか周辺に人だかりができている。この短時間で結構な騒ぎになっていたようだ。
男性は大きなため息をつき辟易とした様子で言い捨てる。
「次から次へとなんなんだよ……」
「ナンパ……ではないようだな」
旭の言葉に男性は鼻で笑う。
「ナンパなんかするかよ。この女が急に突っかかってきたんだ」
それを聞いた旭は感情の読み取れない眼差しを私に送った。きっと考えなしの行動に呆れているのだろう。
ふたりの間に割り込むのではなく、彼らに声をかけようとしていた女性ふたりを止めて、そのうえで旭の到着を待つべきだった。