【26話】亡霊騎士と壁越しの愛を

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「ミシェル」
 そして口づけの合間に優しく名前を呼ばれてしまうと、拒む意志さえ消えていく。
(旦那様が安心出来るなら、キスくらい見せても良いかしら……)
 恥ずかしいけれど、今は彼の望むままにしよう。
 そう思ってゆっくりと目を閉じたとき、ミシェルのこめかみがふいにズキンと痛んだ。
 直後、何の前触れもなく聞き覚えのない男の声が脳裏に響く。
『術式は完成した』
 驚いて目を開けた瞬間、あれほど心地よかった口づけに突然痛みが伴う。
 ふれあった場所から刺すような痛みが走り、ミシェルは思わず身を引いた。
「……ぐっ……」
 痛みを感じたのはミシェルだけではないらしい。むしろベッドに倒れ込んだガウスの様子が、明らかにおかしかった。
 激しく咳き込んだかと思うと、彼は大量の血を口から吐き出す。
「ガウス様!」
 思わず名を呼びガウスの背をさするが、苦悶の声は更に大きくなった。
「ミシェル、ガウスに触れるな!」
 怒鳴りながら、ミシェルをガウスから引き剥がしたのはレイスだった。
「お前たちの間に、禍々まがまがしいつながりが出来ている! ダグラス、彼女を部屋にすぐ戻せ!」
 言いながら、父が結界の魔法を使おうとしているのが見え、ミシェルはダグラスに促される間もなく部屋に駆け込んだ。
 扉を閉じた途端、隣の部屋の物音さえ聞こえないほど強い結界が部屋の間に張られたのを感じる。
 ガウスは無事だろうかと心配になると同時に、あの状態を自分が引き起こしたのかもしれないと思うと、身体の震えが止まらなかった。
(私……一体何をしてしまったの……)
 そしてあの男の声は何だったのだろうか。疑問はつきないが、考えようとすると先ほどのようにこめかみが痛む。
 たぶんこの痛みは自然のものではない。そんな確信と不安を抱きながら、ミシェルは扉にもたれたままずるずるとしゃがみ込む。
 そして彼女は震える身体をぎゅっと抱きしめ、ガウスの無事だけを祈り続けた。

   ◇◇◇      ◇◇◇

 苦痛の中で、ガウスは懐かしい夢を見ていた。
『お前も、こちら側だと思っていたのに……』
 そんな言葉と共に、一番の友に剣を向けられる――そんな夢だった。
 そしてそれは、ガウスの一番辛い過去でもあった。
『幸せなど続かない。俺たちには、穏やかな暮らしを送るなんて不可能だ……。だから利用する者は利用し、金と権力だけを信じて生きるべきだ』
 ガウスに剣を向けているのはかつての友――メイソンだった。彼の声から感じられるのは、失望と孤独。
 どこか切なげにも感じられる声を聞きながら、ガウスは自分と同じかそれ以上にメイソンが孤独な男だった事を思い出す。
『お前は、俺と同じ側にいるべきだ!』
 メイソンの主張に、ガウスは何も言えず立ち尽くしていた。
 確かに、二人の境遇はとてもよく似ていた。
 貧しさを理由に親に捨てられ、幼い頃から悪事のために魔法を使うよう強要されてきた。誰も信頼出来ず、ヘイム国に来るまでは人の中に優しい心がある事さえ知らずにいた。
 たぶんガウスより、メイソンの方がより不幸な境遇だ。
 ガウスはあまりに強大な力を持つが故に、自分を利用しようとする者たちを返り討ちに出来た。悪人さえ近づかず、仮面をつけ、バケモノと呼ばれながら一人孤独に生きてきた。
 でもメイソンは自分を虐げる者たちの言いなりになる事しか出来なかったのだ。そのせいで、彼は自らを歪めた者たちに心や考えを穢されてしまったのだろう。
 それを知っていながら、ガウスは彼に寄り添えなかった。今思えば足りなかった理解と配慮が、決別の原因だったのかもしれない。
『かりそめの平和などすぐ終わるぞガウス。ヘイムの国民だって、お前を称えながらも心の中では恐れている。お前を理解し、寄り添ってくれる誰かなど絶対に現れない』
 そんな事はないと、目の前に立つメイソンにガウスは伝えたかった。
 でもあのときも、今も、彼を前にして何も言葉が出てこない。
 ただ立ち尽くし、友が自分に剣を突き立てるのをただただ見ている事しか出来ない。
『お前の理解者は、俺だけだ』
 激しい痛みの中、メイソンの声だけが響いている。
(違う……俺には……ミシェルがいる……)
 痛みをこらえ、ガウスはぐっと歯を食いしばる。そんな彼をメイソンが馬鹿にするように笑う。不気味な笑い声と共に身体の痛みが大きくなるが、それに負けぬようにガウスはミシェルを想った。彼女に会いたいと、もう一度口づけ、身を寄せ合って音楽について語り合いたいと強く願った。
 すると苦痛が消え、メイソンの声も消える。
 夢がぼやけ、意識が浮上するのを感じながら、彼はゆっくりと目を開けた。
「気づいたか?」
 穏やかな声と共に、誰かがガウスの顔を覗き込んでいる。
「……陛下、ですか?」
「うん、どうやら意識もはっきりしてきたようだな」
 ほっとした顔でこちらを見つめているのは、レイスである。何故彼がここにと思うと同時に、ガウスは自分が倒れた経緯を思い出す。
「ミシェルは……ミシェルは無事ですか!?」
「お前はそればかりだな」
 茶化すように言いながらも、レイスの顔には苦しげな表情が浮かんでいる。
 不安になって無理矢理身体を起こすと、レイスは落ち着けというようにガウスの肩に手を置いた。
「まず話を聞け。そして、取り乱すな」
「取り乱すような事が、ミシェルに起きたのですか!?」
「正確にはミシェルとお前にだ。だが今のところ、彼女は無事だ」
 言いながら、レイスは側に控えていたダグラスに鏡を運ばせる。
「自分の身体を見てみろ」
 言われるがまま鏡に映る自分の姿を見て、ガウスは思わず息を呑んだ。

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