【15話】亡霊騎士と壁越しの愛を

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(もうそろそろ、お出かけになる時間かしら)
 誰も見ていないのを良いことに、ミシェルは壁に耳を押し当て聞き耳を立てる。
 そうしていると窓が開く音がして、ミシェルも慌てて窓辺へと駆け寄った。そしてカーテンの陰からそっと外を覗くと、隣の部屋のバルコニーにガウスが現れる。
 息を殺しながら黒い甲冑と仮面を纏った姿を見つめていると、窓辺に黒い馬が現れた。
 宙を浮くそれはガウスが魔法で作り出した移動の道具だ。バルコニーの柵を軽々跳び越え馬に跨がったガウスは、手綱を握るとそのまま天へと登っていく。
(いつ見ても格好いい……)
 真っ黒な馬を駆り、天を翔る姿は二つ名の通り亡霊のようだ。少々不気味だが、ミシェルにとっては胸がときめく姿である。
 こうしてカーテンにくるまりながら、夫の出勤風景を毎朝こっそり眺めるのが近頃の趣味だ。
(今日も、旦那様のお仕事が無事に終わりますように)
 遠ざかる背中を見送りながら、ミシェルは手を組みそっと祈った。
 
 
 その後ジェーンとお茶をして、昼間は室内でぼんやり過ごす。
 家から出られないミシェルが退屈しないようにと、ダグラスの計らいで時折仕立屋や行商人が訪れたりもするが、基本的には部屋で音楽を聴いたり読書をしたりしているうちに一日は終わる。
 だが近頃は、その合間にガウスの事をぼんやり考える時間が増えた。
 夜のとばりがおり、彼の帰宅時間が近づくとミシェルは落ち着かない気持ちにさえなる。
 でもソワソワした気持ちは、存外悪くない。
 ガウスの事を考えていると心地の良い高揚感を覚えるし、鼻歌を歌うくらい楽しくなるからだ。
 今日もそろそろ帰宅時間だろうかと考えながら、ミシェルは蓄音機の前へと移動する。
 出迎えは出来ないので、ガウスの帰宅に合わせてレコードをかけるのがミシェルなりの『お帰りなさい』の合図なのだ。
 今日は月が綺麗なので、それにちなんだ曲が良いだろうかと思い、レコードをセットしたところで窓の外を黒い影がよぎった気がした。ハッとして耳を澄ませると、隣の部屋の窓が開く音がする。
 横着なガウスが部屋の窓から帰宅したのだと気づき、ミシェルはさっそくレコードに針を落とそうとする。
 だがその次の瞬間、ミシェルの胸がズキンと痛んだ。同時に息苦しさを感じ、彼女の膝から力が抜ける。
「……か、……ッ……はぁ……」
 苦しげな声をこぼしながら地面にしゃがみ込んだミシェルは、胸を押さえたまま身体を震わせる。
(どうしよう……発作だ……)
 魔力を奪われて以来、ミシェルは月に一度激しく体調を崩す。ヘイムの民にとって魔力とは身体の機能を支えるもので、魔力が足りないミシェルはどこかしらにすぐ異常をきたすのだ。
 軽いときは頭痛だったり腹痛くらいで済むが、今回のように呼吸がままならない事も多々ある。
 そのためになるべくジェーンがついているのが常だが、夫の帰宅に浮かれる姿を見られたくなくて、今日は部屋に下がるよう言いつけてしまった。
(そうだ、……ッ呼び鈴……)
 いざという時のために使用人を呼ぶベルがあったはずだと思い出すが、先ほどより更に息が苦しくなり、ミシェルは地面に手をついたまま完全に動けなくなる。
 あまりの苦しさに涙を流しながら胸を押さえていると、不意に背後で大きな音が響いた。
「ミシェル!!」
 聞き覚えのない低い美声が、ミシェルの名を呼ぶ。
 同時に身体を起こされ、見覚えのない顔が彼女を覗き込んだ。
「発作か?」
 焦りを纏ってもなお、凜々しい男の顔がミシェルを覗き込んでいた。切れ長の目と高い鼻梁、そして短く整えたひげを顎に蓄えた男はじっとミシェルを見つめてくる。
 窓から差し込む月明かりに照らされたその顔に、こんな状況にもかかわらず見入っていると、男が更に言葉を重ねた。
「どこが一番苦しい?」
 その質問で我にかえり、ミシェルは喉と胸に震える手を置く。
 同時に彼女は、そこにいる男が自分の夫――ガウスに違いないと察した。
「呼吸だな。なら、すぐ楽にしてやれる」
 胸に乗せた手をぎゅっと握りしめながら、ガウスがゆっくりとミシェルに顔を近づける。
 反射的に目を閉じると、唇に柔らかいものが重なった。それと共にガウスの顎のひげが当たって少しチクチクしたが、何故だかそれが嫌ではなかった。
(何だろう……すごく……気持ちがいい……)
 重なった唇から、舌がゆっくりとミシェルの中へと入り込んでくる。肉厚な舌の感触に身体が一瞬強張ったが、舌を伝って魔力が流れ込んでくると途端に苦しさが去り、得も言われぬ心地よさだけが彼女を満たした。
「ん……ッ……ぅん」
 気がつけば甘い声までこぼれだし、流れ込んでくる魔力と僅かな唾液をミシェルは嚥下えんげする。
(すごく……気持ちいい……)
 側にあったガウスの手を取り、ミシェルは縋るようにぎゅっと握る。すると彼の方も優しく指を絡め、二人はきつく手を握り合った。
 すると触れたところからも僅かだが魔力が流れ込み、呼吸は完全に元通りに戻る。
 なのにミシェルは、なかなかガウスから唇と手を離せなかった。
(キスは初めてじゃないのに……これは……やめたくない……)

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