【14話】亡霊騎士と壁越しの愛を

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■第三章

 朝起きて、その日の気分にあったレコードをかける。
 そんな朝の日課が、ガウスはこれまで以上に楽しみになっていた。
(今日は火の曜日だから、ミシェルが先だな)
 ワクワクしながら壁に耳を押し当てていると、聞こえてきたのは突き抜けるようなトランペットの音色だ。
 それから彼は聞こえてきたレコードのタイトルと発売日を紙に書き、ミシェルの部屋へと続く扉の隙間に差し入れる。
『八七九年に出た、ベイルセブンティーンの「朝霧の向こう」だね』
 程なくして、同じ紙が扉の向こうから返ってくる。
『今日も正解です。ガウス様に、知らない曲はありませんね』
『君ほどじゃない』
 そう言って紙を送り出してから、今度はガウスの方がレコードをかける。
 バイオリンが小気味良い、賑やかなジャズの音色が響くのを聞きながら扉の前に戻る。
 するとすぐさま、ミシェルからの返事が滑り込んできた。
『バイアーズバンドの「故郷への凱旋」ですか?』
『あたりだ』
『やったー♪』
 小さな音符まで書いてある文字に、ガウスはついにやけてしまう。
 結婚してからもうすぐひと月になり、こうしたやりとりにも気さくさが滲むようになった。
『でもこのバージョンは初めて聞きます。よかったらあとでレコードを貸してください』
『もちろんだ。代わりに、君が昨日買ったというオールドムーンのレコードを貸してもらえるか?』
『じゃあ、ダグラスに渡しておきますね』
『楽しみにしている』
 本当はもう少し会話を楽しみたかったが、気がつけば話題に出たダグラスが部屋の入り口で渋い顔をしている。
「そろそろ支度を調えませんと、遅刻なさいますよ」
「ああ、すまん」
「というか、いい加減普通に会話してはいかがですか? そうすれば、今よりもっと長くお話が出来ますよ」
 ダグラスの言葉に一瞬心が揺れたが、ガウスはすぐに首を横に振った。
「手紙だからこそ、彼女はこうして俺と話してくれるんだ」
「しかしそうやって線を引いていては、いつまでたっても仲は進展しませんよ」
「これ以上進展させる気はない」
「それは、本心からの言葉ですか?」
 じっと見つめてくるダグラスの視線から逃れるように、ガウスは仮面をつけ身支度を調える。
(俺だって、叶うことなら……)
 仮面の下でこっそりため息をつきながら、ガウスはミシェルとのやりとりを思い出す。
 彼女との時間は楽しくて、もっと続けば良いとは思っている。
 でも彼女が自分と同じ気持ちでいてくれる確証がないため、どうしても一歩が踏み出せない。
「俺はこのままで良い」
 ガウスの言葉に、ダグラスは苦笑しながら部屋を出て行く。
 だが言葉とは裏腹に、一人きりになるとガウスはついミシェルと自分を隔てた壁に近づいてしまう。
 そのまま壁に耳を押し当て気配を探れば、微かだが彼女が歌う鼻歌が聞こえてきた。
 どうやら先ほどガウスがかけた曲が気に入ったらしい。
(可愛い声だ……)
 ミシェルは時折、こうして鼻歌を歌っている。それを息を殺して聞くのがガウスの最近の楽しみだ。
 我ながら変態臭いとは思うが、会話さえ出来ていないのに歌を聴かせて欲しいなんて絶対に言えない。
 だから今日も彼は騎士団で培った気配を殺す術を用いて、妻の歌声を聞き漏らすまいと情けない努力を続けるのであった。

   ◇◇◇      ◇◇◇

「お嬢様、最近ずいぶん楽しそうですね」
 ジェーンの言葉にハッとし、ミシェルは口元を手で隠しながら、声を抑える。
「もしかして私、また歌ってた?」
「ええ、とても楽しそうに」
「どうしよう、旦那様が隣にいるのに聞かれていないかしら」
「耳をそばだてなきゃ聞こえませんし、そうするほどの関心はあちらにはありませんよ」
 ジェーンは苛立った顔で、大きなため息をつく。
「それにしても本当にひどすぎます。引きこもりで人見知りなお嬢様がこんなにも頑張って交流しているのに、お茶の誘いさえしてこないなんて」
「今のままで十分よ。レコードも貸してくださるし、ガウス様はとっても親切だわ」
 それにミシェルだって、頑張ると言うほどの事はしていない。
 ガウスとの交流は意外なほど楽しいし、朝と夜に音楽と手紙を用いて行うやりとりはまったく苦ではなかった。
(でもまあ、叶うなら会ってお話ししてみたい気持ちはあるけれど……)
 ガウスとのやりとりはとても楽しくて、いつまででも続けたいと思ってしまう。だが紙を使った会話には限界があるし、物足りなさも感じてしまうのだ。
(けれど、ガウス様はきっと今のままを望んでいらっしゃるのよね)
 会って話そうと誘われた事はないし、その気配もない。そして彼が望まないなら、ミシェルはそれ以上を望む事は出来ない。
「私は今のままで十分よ」
 半ば自分に言い聞かせるように言うとジェーンは不満そうな顔をする。それどころか小言の一つでも言い出しそうな彼女を見かね「お茶が飲みたいわ」とミシェルは告げる。
 渋々といった顔でジェーンがお茶を入れに行くのを見守ってから、一人部屋に残されたミシェルはガウスのいる部屋の方へと近づいた。

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