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【7話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

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二章

「いいだろう。お前が俺の言うことを聞けば、リコリスを助けてやるよ」
 アダルバートのその言葉がすべての始まりだった。

 父と叔父は仲が悪かった。
 確執があったのだ、随分と昔から。さらに祖父から屋敷と財産を継ぐとなったときにそれが顕著になった。
 父は長子が引き継ぐのが当然だと主張し、叔父は父よりも優秀な自分が引き継いだ方が家のためになると言い張り争った。それはエヴァリンが生まれる前のできごとだったので詳細は分からないが、母があんなのは二度とごめんだと話すほどには苛烈だったのは間違いない。
 結局祖父は慣例に従い長子である父に資産の一切を引き継がせたが、仲の悪さはより一層増す結果となった。
 父への憎悪はいつしか家族へも向けられ、叔父は母にも同様の感情を向けて罵るようになる。それだけに収まらず、幼いエヴァリンとリコリスにもその鋭い牙を向けては傷つけたのだ。
 そんな叔父を見て学んだのかそれとも血筋と言うべきか、アダルバートは叔父と性格がそっくりだ。叔父はアダルバートを溺愛しており、成人した今でも目に入れても痛くない様子だ。それが彼の我儘に拍車をかけたのだろう。
 五年前に母が、その翌年に父が急死し、後ろ盾をなくしたエヴァリンたちに手を差し伸べたのは叔父ではあったが、もちろんそれは肉親の情からではない。すべては父からエヴァリンに引き継がれた財産を、自分のものにするための一手に過ぎなかった。
 かくしてそんな叔父の横暴に抵抗するすべも知恵もなかった幼いエヴァリンは、家を明け渡すことになる。
 叔父一家がアマリス家の屋敷に越してきて当主然の顔をして居座り、エヴァリンとリコリスはお情けで屋敷の使用人の部屋に押しやられた。
 叔父はエヴァリンたちをいないものとして扱っている。話しかけも目に入れることもしない。
 だが、アダルバートはそこが叔父とは違うところらしく、わざわざ顔を見せに来て悪餓鬼のようにちょっかいを出してきていた。リコリスなど毎度のように泣かされ、そんな彼女を守るのはエヴァリンの役目だった。
 妹のリコリスは生まれつき身体が丈夫ではなく、よく臥せっていた。外に出て遊ぶこともあまりできずに、家の中で大人しく本を読んだり刺繍をしていることが多い。
 そんな彼女の身体を家族は気遣い、そしてエヴァリンもそんなリコリスを愛し慈しんだ。
 三つ歳が離れているが仲のいい姉妹で、か弱く愛らしいリコリスを守るのは姉である自分の役目だと自負している。
 唯一無二の大切な妹で、失ってはいけない存在。それがリコリスだ。
 たとえ不遇な目にあっても、薄暗く狭い部屋に追いやられ日々を無為に過ごす羽目になっても、リコリスがいるだけで耐え忍ぶことなど容易だった。
 エヴァリンのすべてがリコリスであるといっても過言ではない。
 だが、それが一変したのは二年前。
 リコリスが肺の病にかかり、起き上がることすらままならなくなったことから事態が動き始めたのだ。
 医者を呼ぶことすらいい顔をしなかった叔父をどうにか説き伏せて医者を呼び、そして診てもらった結果は芳しくないものだった。治療をしないままなら身体はだんだんと弱り呼吸器官が機能しなくなる。治療薬はあるが高価であり、残念なことに悩む猶予はあまりないと医者は告げる。
 現実は果てしなく残酷だった。
 けれどもさらに残酷だったのは叔父だ。
 そんな高価な薬代を払えるほどのお金を持っているはずもないエヴァリンは申し出た。叔父が管理しているはずの、父から受け継いだ自分たちの資産からリコリスの治療費を出したいと。
 ところが、叔父は苦虫を噛み潰したかのような顔をして、煩わしそうに言ったのだ。
「医者を呼んでやっただけでも感謝しろ。そんな高価な薬など必要ないだろう。それに、お前の財産はお前の将来のために取っておくんだ。余計なことには使えん」
 それはおよそ血の繋がった親族の言葉とは思えなかった。それにエヴァリンは知っていた。この叔父が口ではどう言おうとも、エヴァリンの財産をエヴァリンのために使うことは決してないと。
 けれどもここで引き下がるわけにはいかず、床に膝をつき懇願した。
「お願いします! このままではリコリスが死んでしまう! 叔父様、お願いです! 私の資産はリコリスの治療費以外はすべて放棄しますので、叔父様の好きに使っていただいて構いませんから! せめて……、せめて治療費だけは……!」
 必死だった。
 エヴァリンたちを煩わしく思っている叔父から、少しでも譲歩を引き出すのは容易ではないと分かっているからこそ、最大限へりくだって縋る。出すまいと思って堪えた涙は感情とともに溢れ出て頬を濡らし、咽喉が掠れてしまうほどにお願いをし続けた。
 だが、叔父はその頑なな態度を崩すことはなく、最後まで冷ややかな視線をエヴァリンに送り続けた。
 そして、最後に叔父は下卑た笑みを浮かべ言い放つ。
「私としては余計なものが早くいなくなるに越したことはない」
 ゾワリとした恐怖が背中を駆け上がった。
 俯いた顔の下でエヴァリンは浅く小刻みな息を吐き続け、くらりと眩暈を覚える。指先が震え零れ出る涙は大粒になり、悔しさと絶望でその場から動けず、部屋を出ていく叔父の後を追って再度お願いをすることもできなかった。
 ――リコリスを失ってしまう。
 エヴァリンの中で、その恐怖が渦巻く。
 いつ消えるともしれない命の灯が尽きるのを、ただ側で見ることしかできない己の無力さが恐ろしく、そして情けなかった。
「……お姉ちゃん。私より元気ない」
 そう笑って姉の帰りをベッドの上で待ってくれていたリコリスがいじらしく、そして愛おしかった。
 可哀想なリコリス。
 まだ若く美しく、愛嬌があって笑顔が可愛らしい誰からも愛される子。大人になれば女性としての幸せだってその手にできる。こんな理不尽な目にあっていいはずがない。誰も叔父や病気に未来を奪われていいはずがないのだ。
「大丈夫よ、リコリス。ちょっと疲れてしまっただけ」
「疲れたって……、もしかして叔父様やアダルバートに何かされたの?」
「いつも通り嫌味を言われただけよ。今回それが少し長かっただけ」
 だから心配ない。そう笑顔で答えて、ベッドの端に腰をかけた。額を指先で撫でると、リコリスは目を細めて安堵したように顔を和らげる。
「リコリス、……調子はどう?」
「いいよ。今日は咳もそんなに出ないし」
「そう。それはよかった」
 リコリスの体調は日によって違う。今日のように調子がよくて長時間話をできる日もあれば、熱を出して起き上がることができない日もある。
 だが、確実に病魔はリコリスの身体を蝕んでいた。
 桃色に染まっていた頬は青白くなり、ぷるんと艶のある唇もかさついているし、何より身体が痩せ細り動きも緩慢になっている。リコリスは気丈に振る舞っているが、医者が迷っている猶予はないと言っていた意味を、エヴァリンは日々実感していた。
「もう少しの辛抱だからね」
「お姉ちゃん……?」
「もう少しでお薬買えるから。……だから、もう少し頑張ってね、リコリス」
 叔父はあてにはならない。それどころか、あわよくばとばかりにこのままリコリスを見殺しにするに違いない。
 幸いなことに、エヴァリンにはまだ切れるカードが身近にあって、それはより確実な方法だった。
 正攻法で無理なのであれば、裏から手を回すしかない。

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