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【30話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

「エヴァリン様、本当にクルゼール様を殺めたのですか?」
「ええ」
「毒はどこから入手されたのですか?」
「お友達の御婦人にそういうのに得意な方がいるの。薔薇が大好きでね、綺麗に育てるために農薬やら薬品やらとたくさん集めていらして。特に、植物から抽出される毒物にお詳しいの。私に借りがあったから、お願いしたら届けてくれたのよ? ねぇ? スージー」
「ひっ!」
 わざとスージーの名前を出せばブラッドリーの視線は彼女に向き、アダルバートの怒りの矛先もそちらとなる。
「スージー! お前いったい何やってたんだ! 役立たず!」
「ご、ごめんなさいぃっ!」
 とうとう主人に罵倒されたスージーはその身を隠すようにしゃがみ込んだ。なおもアダルバートが罵り続けるが、彼女は涙を流してブツブツと謝罪を繰り返していた。
「それで? アダルバート様に何を求めるつもりですか? リコリス様の身柄ですか?」
「もちろんよ。そのためにここまでやってきたんだから」
 愚問だと鼻で笑えば、ブラッドリーは鼻白んだように微かに笑う。
「愚かな。たとえアダルバート様のためとはいえ、実行犯は貴女であることには変わりはない。今ここで私が貴女を警察に突き出せば、結局はリコリス様を取り戻すことなど叶わない。彼女はこの家で生きていくしかなくなる」
「いいわよ? 警察なりなんなりと突き出せばいいわ。でも、その場合のリスクも承知の上よね? 私は容赦なくアダルバートの名前を出すわ」
「何?!」
 自分の名前がエヴァリンの口から出て、焦燥の声をアダルバートが出す。
 エヴァリンだって何の考えもなくこんな凶行に及んだわけじゃない。もちろんリコリスを取り戻すための取引材料を持ってやってきた。
「私はアダルバートに命令されてウィルフレッドを殺した。そう供述するわ。リコリスを人質に取られたということも付け加えてね。裁判で高らかにそう謳ってあげるわよ。きっと傍聴人は多いわね。何せあのクルゼール家のスキャンダルですもの。私がセンセーショナルなことを言えば言うほど、皆がこぞって噂する。あることないこと。それが社交界じゃない」
 公の場でアダルバートの名を貶めれば、それは彼の社交的な死と直結する。自尊心の高いアダルバートには、それは何よりも耐えがたい屈辱だ。
 爵位も何もないアマリス家がそこまで評判を堕とせば、再起は不可能だろう。細々とやってきていた商売もおしまいだ。
「お、お前! 俺を脅すのか!」
「そうよ。今まで貴方が私にしてきたようにね」
 今の今まで苦汁を舐めさせられてきたのだ。今度はこちらがアダルバートを操り、欲しいものを手に入れる。
「脅し方は貴方を見習ったのよ、アダルバート。どうかしら? ちゃんと脅されてくれる?」
「ほざけ!」
 ここまでコケにされて黙っていられるほど殊勝な人間ではないアダルバートは、顔をそれこそマグマのように真っ赤にして憤慨していた。腸が煮えくり返ってどうにかなりそうなほどに怒り狂っている。
「ブラッドリー! こいつをどうにかしろ! 何をしてもいい! こいつを黙らせるんだ!」
 何か困ったことがあれば優秀な従僕の登場だ。彼がどうにかしてくれると知っているアダルバートは、今もなお冷静なブラッドリーに縋りついた。ブラッドリーは必死の形相で食い下がる主を見下ろし、小さく頷く。
「エヴァリン様、それは得策ではないと思われます。この家が潰れてしまえばリコリス様の治療もままならなくなる。彼女を守る人は誰一人いなくなります。それで本当に貴女はよろしいのですか?」
 あくまでブラッドリーは言葉での説得を続けるらしい。アダルバートはもどかしそうに歯噛みをしているが、冷静な彼のおかげで話は余計な遠回りをすることもなく順調だ。
「……そうね、それでは本末転倒よね」
 ブラッドリーの言うことには一理ある。もちろん、それについても手は打ってあった。
 些か乱暴な手ではあるが。
 ポケットの中からその秘策を取り出すと、サッとこの場にいる人間の顔色が一気に変わる。これまで以上の緊張感が走り、さしものブラッドリーもこれには焦ったようだ。
「銃っ?!」
 鈍色の筒を見てアダルバートが指をさして叫ぶ。銃口を向けて構えてやれば怯えて一歩下がり、またブラッドリーの後ろに隠れてしまった。
「でもね、私だってちゃんと考えた上で脅しているのよ。どう? こうすれば分かりやすいでしょう?」
 ニコリと笑って銃口を軽く振る。
「警察上等。ウィルフレッドを殺した時点で、この手を何度でも血に染める覚悟はできているわ。リコリスを貴方たちから取り戻すために銃で脅すくらい、安いものじゃない?」
 今日こそはこの一方的な利害関係に終止符を打つ。リコリスを取り戻すだけではない、もう二度とエヴァリンとリコリスに手を出せないように、大きな釘を打たなければならない。
 たとえこの弾丸がその釘になり替わろうとも、構いやしない。
「……偽物だろ? エヴァリン。そんな物騒なもんお前がどこで手に入れるっていうんだよ」
「私のものじゃないわ。ウィルフレッドのものを頂戴したの。丁寧に手入れしていたようだから、ちゃんと使えるわよ?」
 護身用にいつも持ち歩いているものを、家に帰るとチェストにしまっているのを知っていた。中が錆び付かないように月に一度は手入れをしていたところを見るに、ただの飾りではないのだろう。
 もちろん、エヴァリンは銃を撃ったことなど一度もない。けれども撃ち方だけは知っている。そんな知識もまた、この日のために培ってきたのだ。
「どうせ撃てない! 女の身で銃を撃つとかできるわけがないだろ! そうだろ? ん? ただの飾りだろ? あ?」
 虚勢かそれとも侮っているのか。冷や汗をかきながら笑うアダルバートは、あくまでエヴァリンが銃を撃てるはずがないと言い張ってきた。
 撃てるものなら撃ってみろ。そう挑発するアダルバートの顔を見て、エヴァリンは鼻で笑う。
 ――パンッ!
「ひゃあぁっ!」
 お望み通り床に向かって弾を撃てば、間抜けな声を上げてアダルバートは飛び上がった。床に空いた穴と、硝煙の匂いが今現実に起きたことを知らしめてくる。
「私の覚悟が本気だと分かったところで……さぁ、アダルバート。リコリスのところに案内してもらうわよ。その身体に風穴を空けられたくはないでしょう?」
 ここは分が悪いと踏んだのか、震えるアダルバートを促したのはブラッドリーだった。
「ここはひとまず従いましょう」
 続けて耳元で彼を安心させるような言葉をかけているらしく、アダルバートの顔は徐々に色を取り戻してきていた。『絶対俺を守れよ!』とブラッドリーの胸倉を掴むほどに回復して立ち上がる。
「い、いいかエヴァリン! リコリスを引き渡したら、絶対に俺の名前を出すなよ! それだけは誓え!」
「ええ。貴方と違って私は義理堅いの」
「くっそ……っ! 何で俺がこんなこと……っ。早くいくぞ! こんな頭のおかしな奴に付き合ってられるか!」
 肩を怒らせて歩くアダルバートは、それでも銃が怖いのかブラッドリーを盾にしながら恐る恐る歩き出した。
「分かっていると思うけど、逃げ出したりしたら容赦なく撃つわよ、アダルバート。貴方がいなくなってもブラッドリーならリコリスの居場所を知っているでしょうから。無駄死には嫌でしょう?」
「わ、分かっている!」
 逃走防止のためにアダルバートの背中に銃口を向けながら移動する。
 蹲ってそこから動こうともしないスージーも銃をちらつかせて動かし、四人で部屋を出る。
 銃声に驚いて集まったのか、この屋敷にいる使用人たちが扉の前にいた。もちろん、その人たちにもアダルバートに突き付けている銃を見せつけ、悠然と笑う。
「今からお出かけをするから、馬車を用意してくださる?」

 あの屋敷にいる使用人が素直にエヴァリンの言うことを聞いたのは、初めてのことかもしれない。そんな自虐めいたことを考えて流れゆく外の景色に一瞬目を向けた。
 実に迅速に用意された馬車はブラッドリーを馭者に、さらに首都から離れていく。煙が立ち込める空は遠くなり、気が付けば辺りは真っ青な空だけ。このままこの道を進むと隣の小さな町に辿り着いた。
「リコリスは隣町にいるの?」
「そうだ。家を借りてそこに住まわせている」
「世話は誰が?」
「女を一人雇った。そいつが住み込みでリコリスの面倒を見ている。医者も定期的に通わせているし、ブラッドリーが医学の心得があるからな。何かあればあいつが駆け付ける」
 今まではリコリスのことを少しでも聞こうものなら、烈火のごとく怒られたものだが今はやけに素直だ。逆らわない方がいい。それを本能的に悟っているのだろう。
「随分と手厚いのね。嬉しいけど意外だわ」
「お前のことは嫌いだが、……あいつのことは嫌いじゃないからな」
 顔を顰めて言うには声が優しい。アダルバートは昔からリコリスに対しては憎まれ口をききながらも優しさを見せていた。もしかすると……と思うことは多々あったが、藪をつつくような真似はあえてしない。変な方向に話が向いても困る。
 だが、その言葉を聞いて心穏やかにいられなかったのがここに一人。
 膝に乗せた手を戦慄かせ、俯いた顔の下で唇を噛み締めて目を見開いている。そんなスージーを盗み見ながらエヴァリンはほくそ笑んだ。
 町は首都からあぶれた人間が多く住んでいる。町と首都は辻馬車が往復し稼ぎに出る労働者を首都に送り、そして稼ぎ終えればまた町に辻馬車で帰る。昼は閑散としている町中は夜になると一転、人が溢れて賑やかになるのだと父に聞いたことがあった。
 その話の通りに馬車が町に入っても人は道に点在しており、通り抜ける馬車は随分と目立つ。単身世帯の住人が多いためか、首都ほどではないが背の高いアパートもあちらこちらに見えた。
 そんな町の少し外れたところ。こぢんまりとした小さな家にリコリスはいた。
 アダルバートが扉を開けると、すぐそこはダイニングとキッチンになっているらしく、ダイニングテーブルで刺繍をしていたリコリスが、ゆっくりと瞬きながらこちらを見たのだ。
「リコリス!」
「……お姉ちゃん?!」
 突然のエヴァリンの登場に慌てて立ち上がりながら歓喜の声を上げたリコリスは、足を縺れさせながらこちらにやってこようとする。まともに歩くことができなかったリコリスを知っているエヴァリンは、彼女を支えようと駆けつけた。
「リコリス! あぁ……リコリスっ」
「お姉ちゃん……どうしてここに? 駄目じゃない。まだ私ちゃんと治っていないのよ? 病が伝染うつっちゃうかもしれないわ」
 一年ぶりに相まみえて感動しているエヴァリンとは対照的に、リコリスは戸惑いの方が多いようだ。抱き締めようとするエヴァリンを避けて、近づいては駄目だと制する。どうやら自分が罹っているのが伝染性のものだと思っているようだった。
「大丈夫よ、リコリス。貴女の病は伝染るものじゃない。お医者様もそう言ってなかったでしょう?」
「……え? でもアダルバートがここに移り住む前に、伝染病だってお医者様が言ってたって。お姉ちゃんは私を思いやって言わなかったって言うから」
 これでようやく腑に落ちた。何故今までリコリスが隔離されていることに、何一つ疑問を持つようなことを手紙に書いていなかったのか。彼女は自分が伝染病に罹っているのだというアダルバートの嘘に誑かされて、今の今までいたのだ。エヴァリンに伝染らないようにと、早く治るようにと。
「お姉ちゃん、クルゼール様に結婚を申し込まれたでしょう? それなのに病持ちの私が身内にいるとバレたら、もしかすると破談になるかもしれないって。彼はそういうところはシビアで、容赦なく切り捨てられるからバレないうちに行こうって、アダルバートが言ってくれたのよ?」
 リコリスの優しい心を利用したアダルバートの嘘にカッと頭に血が上って、彼を睨み付けた。当の本人は憮然とした顔をして悪びれた様子もない。
「悪知恵が働くとは思っていたけど、まさかリコリスにそんな嘘を言っていたなんてね。なんて酷いことを……。伝染病だなんて思い込ませて、今の今までリコリスを苦しめていたの?」
 エヴァリンがそう言うと、リコリスの顔は途端に気色ばんだ。
「……嘘? 嘘だったの? アダルバート」
 信じられないという面持ちでアダルバートを責める。それにはさすがの彼も、申し訳なさが立ったのか、気まずそうに目を逸らす。その態度でどちらが本当のことを言っているか、リコリスには分かったはずだ。
「待って。じゃあ、何でアダルバートはそんな嘘を私に言ってまでここに住まわせたの? 何か他に理由が?」
「私と貴女を引き離すためよ。引き離して、私を自分の思う通りに操ろうとしたの」
 真実を言うかは迷ったが、ここで下手に隠してもリコリスの不信感を煽るだけだと思った。彼女は事情を知らされず騙されていただけで、馬鹿ではない。余計な取り繕いは嘘を暴くだろう。
「操るって……お姉ちゃん、アダルバートに何をさせられたの?」
「……それはあとでゆっくりと話すわ」
 けれども、ウィルフレッドを貶めるために結婚したとまでは今は言えなかった。あれだけ彼との結婚を望み、そして家を出てほしいと願っていたリコリスには、申し訳なくて一言では説明できない。
 眉をハの字に下げて言い淀む姉の様子を見て、リコリスは酷く驚いていた。今にも泣きそうな顔で唇を噛み締めて、アダルバートに勢いよく振り返る。
「アダルバート! 何をさせたの?! お姉ちゃんに何をしたのよ!」
 感情を爆発させたように叫ぶリコリスは、アダルバートを責めたてる。彼の前までやってきて、その胸を小さな拳で叩きながら泣いていた。
「ち、違う! これは取引だった! あいつから言い出したんだ! お前の薬代を親父から引き出すように仕向けてくれれば、俺の言うことを聞くって!」
「なんてこと! 私を人質にしたの?! 私の命を! お姉ちゃんに言うことをきかせるために! 嘘ついてっ……こんなところまで連れてきて……っ」
 怒りながら何度も叩くリコリスを、アダルバートは引き離しはしなかった。戸惑いどうしたらいいか分からないと、ただ彼女の怒りを受け止めては言い訳を繰り返す。
 リコリスはこれで完全にアダルバートへの信用をなくしたのだ。いくら言葉を並べても、彼女にはもう届かないだろう。
 アダルバートから遠ざけるようにリコリスの肩に手を置いてこちらに引くと、振り返った彼女の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「お姉ちゃん……ごめんなさい。私、何も知らずに……助けるどころか枷になってしまったのね……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
 今も昔も変わらない、優しくて綺麗な涙だ。他人のために心を痛めることをさせたくはないのに、結局泣かせてしまう。
 リコリスが優しいだけでなく、この世界も彼女に優しかったのなら、こんなに泣くこともなかっただろうに。
「リコリス、落ち着いて。もう終わったの。長く苦しい日は終わったのよ。私も貴女もアダルバートから解放されて自由になれる。そのために迎えに来たの」
 さめざめと泣くリコリスを宥めるように声をかける。

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