• HOME
  • 毎日無料
  • 【22話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

【22話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

「リコリスからだ」
 今日もその安心材料がアダルバートから渡され安堵する。投げ捨てるようにテーブルの上に置かれた手紙を急いで開き、約ひと月ぶりにリコリスの様子を垣間見た。
 もちろん、この手紙はここに来るまでにアダルバートが検閲済みだ。都合の悪いこと、例えば居場所が分かるような記述は、黒いインクで塗り潰されて読めない。
 それでもしっかりとした字に、書いても書いても書き足りないとばかりに紙にいっぱいに書かれた文章、そして前向きな内容から、リコリスが元気でいるのが分かる。
「リコリスの様子はどう? 体調はいいの?」
「ああ。あいつはすっかり元気だよ。ここにいる頃より調子がいいんじゃないか?」
 念のためにアダルバートにも聞いてみるが、嘘を言っている様子はない。取引通りにちゃんと治療をしてくれていることに、とりあえずは安心する。
「たまに庭にも出ておられるようです。もちろん監視付きですが」
 アダルバートの言葉を補足するように、今まで沈黙を貫いていたブラッドリーが口を開いた。ちらりと彼の顔を窺うも、眉一つ動かさない無表情のままでアダルバートの隣に控えている。
 実は、リコリスの手紙をアダルバートが届けてくれるようになったのは、このブラッドリーの助言があったからだ。リコリスの様子が分からず不安に思っていたエヴァリンがアダルバートに詰め寄ったところ、そばでそのやり取りを見ていたブラッドリーがリコリスに手紙を書かせて持ってこさせればいいと提案した。
 はじめはエヴァリンの言葉に耳を貸そうともしなかったアダルバートだが、ブラッドリーの言葉にはやけに素直に頷いたのだ。
 ブラッドリーがこの屋敷にやってきたのは、エヴァリンが去った後だ。下働きとして働いたのちにアダルバートに気に入られて従僕として侍るようになった。
 その間、約半年。その優秀さを窺える。
 ブラッドリーは必要なとき以外は口を開くこともなく、そして堅い。リコリスの居場所を彼から聞き出そうとしたこともあったが、さらりと躱されてしまった。アダルバートにしては有能な部下を見出したものだ。
「……元気そうで何よりだわ」
 手紙の文字を目で追いながら、零すように呟く。彼らの言うようにリコリス自身も体調がよくて外に出たり刺繍をしたりしていると手紙に書いていた。そこから元気でいてくれるのが分かる。
 ――会いたい。その元気な姿をこの目で見たい。
 彼女の痕跡を辿るように指で手紙をなぞる。
 エヴァリンが知るリコリスの最後の姿は、青白い顔をしてベッドの上で寝ていたものだ。一目だけでもいい。元気に動き回り笑い声を上げるリコリスを見たいと願う。
 だがその願いはいつも無情にも取り上げられる。
 アダルバートはエヴァリンが読んでいたその手紙を奪い、そして目の前でビリビリに破り始めたのだ。あっという間にリコリスの知らせがその手の中で小さくなっていく。
 エヴァリンはそれを静かに見つめ、そして心の中でほぞを噛んだ。
 いつものことだ。手紙を詳しく調べたり他人に見せないようにとこうやって手を打つ。これもブラッドリーの入れ知恵で、この場面を見るたびに、エヴァリンとリコリスの絆も引き裂かれているような錯覚に陥る。
「早く会いたかったらお前も頑張ることだな。すべてはお前の頑張り次第だ」
「ええ、分かっているわ」
 言われるまでもない。いつだってリコリスを取り返すために手を尽くすつもりだし、その計画だってこの頭の中にある。
「ふんっ。お前のその言葉をどこまで信じればいいのやら。あいつの口が上手いのかそれとも周りの目が節穴なのかは分からんが、あいつが他の女と遊ぼうとも世間は好意的だ。今か今かと待てども聞こえてくるのは、他人の醜聞ばかりだしな」
「ああ……クーベルチュオン伯爵の奥方の話とか、かしら?」
 最近耳にした噂話を話題に出すと、アダルバートはにやりと笑う。
「あれはなかなかに面白い話だったな。貴族様が奥方に刺された上に面目も丸つぶれ。自分の女も制御できない男ほど格好のつかないものはないだろう。当分の間社交界ではネタにされるな」
 アダルバートの仲間内でも、伯爵の話は面白おかしく言われているようだ。
 夫は妻を止められない情けない男、妻は嫉妬で自制心をなくしたみっともない女。たったひとつの過ちが名を落とし、社交界での地位を脅かす。
 そう思えばウィルフレッドは社交界での生き方が上手いのだろう。どれほど夫として屑であったとして、男女問わず彼に媚びを売ってくる人間は多い。
「お前もこのくらい大きなスキャンダルを起こしてくれれば話は早いんだがな」
 そうすればこんなに煩わされることもないとアダルバートは皮肉る。それにエヴァリンがすぅっと目を細めて、呆れたような顔をした。
「私にウィルフレッドを刺せとでも言うの?」
 するとエヴァリンの隣にいたスージーがぎょっとした顔をして、こちらとアダルバートの顔を見比べている。以前冗談めいて言ったこともあって、この手の話題に多少敏感になっているところがあるのだろう。面白いほどに慌てている。
「おいおい。そこまで言ってないだろう? 俺はそのくらいの気概を見せろと言っているだけだ」
 スージーとは違って、アダルバートはそれを真に受けることなく笑って跳ね除けた。少しくらい動揺してもいいだろうに、面白みもない。
「そうね」
 エヴァリンも素っ気なく返すと、スージーは安堵して落ち着きを取り戻していた。アダルバートは呆れたように肩をすくめて首を横に振っている。
 何となくその場が白けたような空気が漂った。
「とにかく、アダルバート。焦る気持ちは分かるけどもう少し時間が欲しいの。ウィルフレッドは馬鹿じゃない。事を急いて手を抜かれば、吠え面をかくのはこちらになってしまうわ」
 その場をスッと立ち上がり、話はこれまでと締めくくる。意味のない議論にこれ以上時間を割くのはもったいないし、アダルバートたちに囲まれているこの状況自体が不快だ。早々に立ち去ってしまいたかった。
「エヴァリン!」
 だが、エヴァリンの言葉に納得をしていないアダルバートは声を荒げて呼び止める。その制止にゆっくりと顔を動かし彼を見据えると、エヴァリンは口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「何もかも片付くのはそう遠くない未来よ、アダルバート」
 芽吹きは見えている。あとはやるべきものをやって、育つのを待つのみ。
 そう言い残してこの部屋を去った。

 おそらく、今日の夜はウィルフレッドの帰りが早いだろう。エヴァリンが外に出た日は夕刻頃に帰ってきて、その日のできごとを根掘り葉掘り聞き、――エヴァリンを抱くのだ。
 また彼の上に跨り腰を振るそのひとときに、他の女性の匂いがしなければいいと願う。
 そんな僅かな期待を胸に、帰途に就いた。

作品詳細

関連記事一覧

テキストのコピーはできません。