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【19話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

 もし、一緒にここを出ることができたのならば、これ以上の幸せはない。
 環境のいいところならリコリスもゆっくりと静養できるし、人を騙すような真似をしなくても薬を買える。粛々とアダルバートのくだらない見栄に付き合うより建設的で、何より安心して暮らせるのだ。
 あれほどまでに頑なだった心が一気に解れてくる。この人のもとに行けば、この状況を打破する手立てが見つかるのかもしれない。
「……本当に? どんなことも叶えてくださるのですか? 私が貴方の妻になれば」
「そうだよ。君はどんなことを叶えてほしい?」
 ウィルフレッドがこちらに身を乗り出してくる。エヴァリンの気持ちが傾き始めたのを読み取ったのだろう。
 落ち着け。いい話だがすぐに飛びついてはいけない。まずはリコリスの意思を確認してから慎重に話を進めなければ。
「分かりました。前向きには検討しますが、少し考える時間をください。私一人の問題ではありませんし、叔父とも再度話をしなければなりませんから」
「そうだね。君の口から『前向きに検討する』という言葉を聞けただけでも、今日の成果はあったよ。話し合って答えを出してほしい。君の一生に関わる話だからね」
 そう言ってウィルフレッドはアマリス邸を後にした。気の早いことに明日またこちらに出向いて返事を聞きに来るそうだ。
 玄関まで見送った後に叔父にそのまま呼び出され、ウィルフレッドと何を話したのか、それに対して何と返事をしたのか事細かに尋問された。
 当たり障りのないところで答えたが、エヴァリンも前向きに返事をするという話と、明日またウィルフレッドがやってくると聞いて上機嫌になった。もう叔父の中では二人の結婚は決まったものになったのだろう。
 加えて最初に口ごたえしたことへの説教もされて、サロンから再び退出したときには窓から茜が差していた。
 随分と時が経っていたらしい。橙色の明かりをその背に浴びながらその暗い廊下を歩いていき、リコリスの待つ部屋へと急いだ。
「リコリス?」
 もうさすがに起きているだろうと踏んでいたが、その読みは外れていた。
「……リコリス、どこ?」
 それどころか彼女はベッドの上にいなかった。部屋の中を見渡してもその姿は見つからない。
 エヴァリンが部屋を出る前には顔色が良くなっていたとはいえ、今日は体調が悪くて起き上がるのも辛いはずだ。それなのにあんな身体でどこに……。
 嫌な予感がしてリコリスを探すべく急いで部屋を出た。まずは看病をお願いしていたはずのスージーに行方を聞かなければ。
 廊下を突き進んで食堂へと向かうと、食事の用意をしながら男の使用人と話をしていたスージーを見つけた。
「スージー! リコリスは!?」
 食いかかるようにスージーを問い詰めると、彼女は煩わしそうに眉を顰める。スージーは目線だけはこちらに寄せて顔を背け、小馬鹿にするような笑いを浮かべた。
「何ですか? ちゃんと私はリコリス様を見ていましたけど? ちゃんとそばにいてあげたのに文句でもあるんですか?」
「違う! そうじゃなくて! リコリスが部屋にいないの! あの子、どこに行ったか知らないの?!」
 スージーは叔父が連れてきたメイドで、基本的に叔父やアダルバートに忠実であり、エヴァリンとリコリスには反抗的だ。こうやって真面目に話を取り合わずにふざけた態度を取ることが多い。これがいつものこととはいえ、それでもこの緊急事態にこの態度では、こちらも熱くなってしまう。
「貴女ずっとリコリスを看ていたんでしょう?!」
「ええ、そうですね。仕方ないので見るには見てましたけど。でも、アダルバート様がやってきて部屋を出ていけっておっしゃったんで、私はそのまま部屋を出ましたよ。どこかで散歩でもしているんじゃないんですか?」
 アダルバートの名前が出てきて、エヴァリンは一気に血の気が引いた。
 まさか、彼がリコリスをどこかに連れて行ったのでは。嫌な予感と底知れない不安がエヴァリンを襲う。
 次にアダルバートを探しはしてみたが、どうやら彼は出かけているようだった。
 リコリスがこの屋敷の中にも外にもいない。加えてアダルバートも不在。
(リコリス……!)
 もし、彼女の身に何かが起こっているのだとしたら。アダルバートが何かしらを企んでリコリスに手をかけていたら。そう考えたら手が震えるほどに怖かった。
 玄関前でどちらかが帰ってくるのを待っている時間は、ひたすらその恐怖と闘っていた。辛い時間ほど長い。このまま先の見えない夜がずっと続くのではないかとすら思えた。
 待ち続けて二時間。
 帰ってきたのはアダルバート、ただ一人だった。
 彼の側にリコリスの姿がなくて青褪める。最悪の予感が現実味を帯びてきて、気が狂いそうだった。叫び出してアダルバートを叩いてやりたい気持ちを抑え込みながら、エヴァリンは静かに問う。
「――アダルバート、リコリスは……どこ?」
 溢れ出そうな涙を堪えながら必死にアダルバートを睨み付けた。そんなエヴァリンを嘲笑うかのようにニヤリと下卑た顔をする彼は、挑発的に鼻で笑った。
「俺が他の場所に移した」
 臆面もなくそう言ってのけるアダルバートに、一気に怒りが沸き起こる。
 移動? あの体調が悪いリコリスを無理矢理外に引き出していったというのか。何という愚かで無茶なことをしてくれたのだ。
 先ほどまで恐怖で震えていた身体が、今度は怒りで震えた。
「どこに?! どこに連れて行ったの?! あの状態のリコリスを外に出すなんて何を考えているのよ!」
「おい! 声を抑えろ。親父に聞かれるだろうが」
 なりふり構わずアダルバートを怒鳴りつけると、彼はエヴァリンの口を手で塞いで静かにするように注意してくる。こちらはこんなに必死になっているというのに、アダルバートは面倒くさそうにしていた。それが酷く悔しくて、また怒りを煽る。
 立ち止まることなく自室へ向かおうとするアダルバートの後を追って小走りについていく。その間もエヴァリンは追及を止めなかった。何としてでもリコリスの居場所を聞き出さなければならない。それしか頭になかった。
「アダルバート! 答えて!」
 アダルバートの部屋の前にやってきてこのまま逃げられてしまうと焦ったエヴァリンは、一等大きな声を出す。それが功を奏したのか、彼がようやくこちらを振り返った。
「うるせぇなぁ。ちょっと考えてみれば分かるだろ? 何で俺がリコリスを連れ出したのか、何故お前にその居場所を教えないか」
 突き飛ばすようにエヴァリンを軽く押したアダルバートは、そのまま壁に追い詰める。虫けらを見るかのように冷たい目を向けてくる彼を、エヴァリンは負けじと睨み付けた。
「人質だよ、人質。お前が俺を裏切らないように保険をかけたんだよ」
「保険……ですって?」
「ああ。当然だろう? 親父はどうあってもお前らを結婚させるつもりだ。今回ばかりは俺の話に聞く耳すら持たない。結婚式直前にお前がどっかに行方をくらませて、花嫁に逃げられたあいつを笑うのもいいが、それだとうちが金を要求される可能性がある。ならばこのまま結婚させてから動いてもいいだろう? あいつから搾り取るだけ金を搾り取るもよし。悪妻を装って恥をかかせるも、商売を傾けるもやり放題だ。なぁ? そのためにはまだお前には俺の言うことを聞いてもらわなきゃいけないんだよ」
 この茶番は終わらない。終わらないどころかリコリスを巻き込んで、さらにエヴァリンを苦しめてくる。何が何でもウィルフレッドを辱めるつもりで、こちらをとことんまで利用し尽くすつもりだ。

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