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【16話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

 ウィルフレッドのすべては仕事で、そのためならば女性を虜にするのも厭わないタイプだ。ひととき女性と楽しむことはあっても、一人に絞り込むことなどないと思っていたのに。
 そんな彼がエヴァリンと結婚したいと言ってくれるのは、純粋に嬉しい。状況はどうであれ、そこに『エヴァリンであれば』という理由があるのだと思うと、気持ちが舞い上がらないわけがない。
「独身貴族と言えば聞こえがいいけれどね、仕事をしていると結婚しているかどうかをよく見られる。妻帯者は一種のステータスだ。適齢期を過ぎて結婚の一つもしていなければ、素行に問題があるのかとか家族を養う甲斐性がないのか、ともすれば同性愛者じゃないかと噂される。僕もそろそろ真面目に考えなくちゃと思っていたところだったんだ」
 だが、真実はそんなに優しいものではない、とても現実的な理由で、ウィルフレッドらしいと言えばらしい理由だった。その答えに納得しながらも、どこか落胆している自分がいる。
「次に何故君を選んだかって話になるけど……」
 今さらそれを聞きたいとも思えない。
 この耳を塞ぎたくはあったが、それをウィルフレッドの目の前でする勇気もなかった。
「まず第一に、僕がここまで利害の一致もなく、そして飽きることなく熱心に会い続けたのは君だけってこと。まぁ、仕事の関係上お付き合いで会う女性はいるけどね。けれども僕が個人的に会いたいって思うのは、君だけだよ」
「だから私で手を打っておこうと思った……といったところでしょうか?」
「辛辣だね。でも完全に否定しきれないのも事実だ。僕は結婚を考え始めた。そんなときにちょうど世間知らずで無垢な、けれども賢くて一緒にいても苦にならない、むしろ楽しめる君が現れた。だから君に結婚を申し込んだ。それには変わりはない」
 ちょうどよかったからエヴァリンを選んだのだと何の悪気もなく彼は言ってみせる。それを非難するつもりは毛頭ないが、それでも胸の中にモヤモヤとしたものが消えなかった。
 けれども、それが何だというのだ。ようやくチャンスが巡ってきた。
 理由はどうあれ、ウィルフレッドに結婚を申し込まれているのは事実。このままその申し出を断ってしまえば、アダルバートの言う『ウィルフレッドに恥をかかせる』ことになるのではないだろうか。手酷く断って、小馬鹿にするかのように嘲笑って、二度と顔を見ることのないようにボロボロにして。そうすれば目的は達成できる。
 ようやく運命の道が切り開かれた瞬間だと思った。成功すれば、もうこんな苦しいことをやめられる。ウィルフレッドに会うたびにこの心が揺れ動くこともなくなるのだ。
 息が自然と浅くなる。覚悟はすぐにはできなかった。
 上手く言えるのか、本当にこのタイミングでいいのか、それとも彼が逆上して怒鳴ったりしてはこないか。不安は様々あったが、そのたびにリコリスの顔を思い浮かべてはそれらを潰していった。
 今さら迷うなど意味がない。エヴァリンが歩むべき道は定められている。
「申し訳ございません、ウィルフレッド様。お断りいたします」
 口を開くまであれだけ時間を要したというのに、言葉を出してしまえば一緒に緊張も抜けていった。嘘みたいに冷静になって、彼に真正面から断りの返事をする。
「それは、やっぱり君も結婚には愛が必要だと思うから?」
「いえ。そこは二の次でしょう。ウィルフレッド様の言うように、互いに利があるかないかが、私にとっても重要だと思います」
「僕は君にとっては利がない、と?」
 そんなことはない。そんなことがあるはずがなかった。おそらく、今後叔父が持ってくるかもしれない結婚より遥かにいい話であるに違いない。ウィルフレッドに愛はなくても情はある。このままアマリス家にいるよりは数倍マシだ。
 ――エヴァリンだって、できることならこのまま頷いてしまいたい。
「私は欲張りですから、初めにデートした相手で妥協したくはないんです。上を目指そうと思えばもっといい人がいる。貴方で満足してはいられません」
 嘲るように口元を歪めると、彼は目を眇めた。
 緊張はもうない。ただ、胸が痛い。
「ウィルフレッド様には感謝しております。世間知らずな私に新たな世界を見せていただいて、いろんな知識を授けてくださって。――いい踏み台になりました」
 どうしたらこの優しくて野心家な人を傷つけられるのかも手探りだ。でき得る限りの彼のプライドを傷つけるような言葉を選ぶ。
 自分の言葉に吐き気がした。分かっていたことだが、自分は最低な人間だ。
「それに、亡き父も言うでしょう」
 馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。幸運にも、もうすぐこの空間から逃げられる。
 ウィルフレッドの後ろにある小窓に、アマリス家の屋敷が見え始めた。
 そうだ。彼はあんな悪魔の棲家のような家に、関わるべきではない。
「もっと手堅くいけ、と」
 きっとこの言葉は効果的だ。これ以上ないくらいの断り文句であり、上を目指すウィルフレッドにとっては屈辱に違いない。
「残念だな。君はこういうアプローチの方が好きかと思ったけど、見当違いだったようだ。もしかして、『愛しているから』と言った方が効果的だったかな?」
「そうですね。そちらの方がまだ絆されたと思いますよ」
「そうか」
 けれども彼は顔を歪めることなく笑った。怒りなど微塵も感じさせることなく、明るい口調で、ただちょっとした失敗をしただけだとでも言うように。
 怒る価値もない、ということなのか。笑って終わるほどのものだったのかもしれない。彼にとって結婚というものは。
 それならそれでいい。ウィルフレッドがエヴァリンを求め、エヴァリンがそれを突っぱねたという事実さえあれば、アダルバートの条件に合致するだろう。このネタをどう料理するかはアダルバート次第だ。そこはエヴァリンが気にするところではない。
 こんな人間に結婚の申し込みをしたがために、アダルバートの遊びに付き合わされるウィルフレッドには悪いが。
 でも、ウィルフレッドが『愛しているから結婚してほしい』と言ってきていたら、エヴァリンはこんなにすぐに断ることができなかっただろう。揺れて揺れて、最後の最後まで迷っていたに違いない。
 それほどまでにウィルフレッドに心を傾けていた事実は否定できない。ただ、リコリスの方が大事だった。それだけだ。
 完全に馬車が止まって馭者ぎょしゃが扉を開けた。ウィルフレッドのエスコートなく、エヴァリンはドレスのスカートの裾を踏まないようにゆっくりと地上に降り立つ。
 役割は果たした。もう二度とウィルフレッドに会うことはない。背筋を伸ばして別れの一歩を踏み出そうとした。
 ところが。
「エヴァリン」
 もう聞きなれてしまっていたバリトンの声が呼び止める。無視をすればいいのに、エヴァリンは素直に振り向いてしまった。
「そこまで言われてしまったら仕方がない。今日のところは悪足掻きをせずに大人しく帰るよ」
 馬車の中からこちらを見つめ殊勝なことを言ってみせるウィルフレッドは、その言葉とはうらはらに酷く楽しそうだった。最後の最後まで、彼は本音を露わにはしない。いつも何かの駆け引きのように楽しんでいた。
「けれども覚えておいて。僕は案外負けず嫌いだ。君が思っているより遥かにね」
 今でさえそれは変わらない。彼が楽しんでいるのか怒っているのかすら分からなかった。

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