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【15話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

 そんなことがあったにもかかわらず、ウィルフレッドはまたエヴァリンをデートに誘ってきた。彼にとっては何でもないことなのだろうとエヴァリンも割り切り、承諾の返事をする。
 結局、お試しはお試しなのだ。目的は別にある。
「こんにちは、ウィルフレッド様」
 すました顔をしてウィルフレッドの前に現れたエヴァリンは、悠然と笑んだ。彼も同じく何食わぬ顔をしてそこにいて、この逢瀬自体が化かし合いのようだ。
 ところが、化かし合いにかけてはウィルフレッドの方が上手だったようで、デート場所に向かうべく馬車が動き出した途端に、彼は口を開いた。
「この間ぶり、だね。あの日は墓参りに来ていたのかな?」
 なかったことにするわけでもなく率直にその話題を出してきて、さすがのエヴァリンも面を食らった。だが、少し間を置いた後にゆっくりと頷く。
「父の命日でしたので」
 あの日の行動を言及するつもりなのか、それとも何かしらの言い訳をするつもりなのか。これはどちらに転んでも面白い展開だ。自分に興味を持ってもらっているということだろう。
 けれども、これを口実に別れを切り出される可能性だって捨て切れなかった。ウィルフレッドの表情は何も語ってはくれない。読み取る努力すら馬鹿らしくなるほどに、彼の本心は何も知ることはできないのが常だ。
「君には見えていたんだろう? 僕が女性と一緒にいるところが」
「はい」
「でも君はそれを見て笑ったね。そして丁寧にお辞儀までしていった」
「礼儀を欠くことはどんなときであれ、できませんので」
「何故?」
 思わずウィルフレッドの方を見やり、榛色の瞳と見つめ合う。彼の目はすぅっと細められて、それと対照的にエヴァリンの目は見開かれた。
「君はあのとき笑ったね。それは何故?」
「何故、と言われましても……」
 どう言えばいいのか。
 言葉を探して目を泳がせるエヴァリンの様子を楽しむかのように、彼は頬杖をついている。その視線に晒されながら何をどう説明していいのか分からずに、結局は素直に言うことにした。
「自分でも分からないんです。何故笑ってしまったのか、あれほどに冷静だったのか。あとで自分でも不思議すぎてまた笑ったくらいですし」
 分かるはずもない。考えることすら放り投げてしまったエヴァリンには答えようがなかった。
「なるほど。大抵の女性はああいった場面を目の前にすると、怒るか不機嫌になることが多いが、君が笑ったのが気になってね。それとも君は実は怒ると逆に笑うタイプかな?」
「いいえ。静かに怒る方だと思います」
 怒りは腹に溜め込んで、誰もいないところで一人で吐き出すのがエヴァリンだ。たまに言葉に毒を塗り込んで返しもするが、母から淑女は悋気を起こさない、怒りのままに理性をなくすのはみっともないと教えられてきたので、それを忠実に守っていた。それはどんな場面であっても変わりはしない。
 だが、ふと思う。
「ウィルフレッド様は、怒ってほしかったのですか?」
 逆にこうも考えられるのではないのかと。
 それにはさすがのウィルフレッドも面を食らったらしく、きょとんとした顔を見せる。してやったと思ったがそのわずかな爽快感は、彼が笑ったことで霧散した。ウィルフレッドはよくエヴァリンの言葉に笑う。そのたびに何か失態を犯してしまったのだろうかと、ハラハラしてしまうのは心臓に悪かった。
「君が怒りたいのなら怒ってくれて構わないよ。君にだったらどんな態度を取られても僕は受け入れる。他の女性といるのは嫌だというならばやめるよ。一応弁明すれば、あの女性は商談相手の娘さんだ。まぁ、気に入ってもらっているからね、それを利用して商談を有利に進めていければ上々とは思っている」
 あぁ、なるほど。彼は仕事のために、ああやって女性と二人きりで街を歩くことのできる人間なのだ。
 仕事に生きる人。目標のためならば人を利用できる人。だからこそ、こんなに若いのに他を差し置いて頭角を現すことができた。
 ならば何故、デートを重ねても仕事の上で何も得をしないエヴァリンと会い続けるのか。ここで不可解な疑問が出てきた。
 それに先ほどの聞き逃せない言葉。
 何故あのようにエヴァリンがさも特別なように言ってくるのか。
 問い詰めたい、けれどもそれをしたくはない。迷いと居心地の悪さからエヴァリンは所作なく胸の下で揺れる髪の毛の先を指に巻き付ける。真っ直ぐに見つめてくるウィルフレッドの視線が突き刺さり、耐えきれずに顔をそらした。
 不用意に胸が騒いだ。嫌だ。ようやく気持ちを切り替えたはずなのに、ウィルフレッドの言葉一つでかき乱されてしまうなんて。
「こんな僕だけれどもどうだい? 今日もデートしてくれるかい?」
 この胸騒ぎが当たっていて彼がエヴァリンを特別と思ってくれているのであれば。
 それは、――終わりが近いということだ。
「もちろんです」
 断る理由などどこにもなかった。それを今のエヴァリンにできるはずもない。
 心もとない気持ちで向かったデート場所は国立の庭園だった。ここに来たのは二度目で、二人並んで歩きながら花の美しさを堪能するところだったが、エヴァリンは素直に楽しめなかった。どこか上の空だ。
 それにウィルフレッドも気が付いたのか、いつもより早くデートを引き上げて馬車へと戻ってきた。
 気を使わせてしまったのだろうか。もしくは反応の薄いエヴァリンと一緒にいるのに嫌気がさしたのか。申し訳ないことをしたと気まずい思いでいたが、思いのほか彼の表情は明るい。
 居心地の悪さはますます増し、早めに切り上げてくれて安心すらした帰り道となった。
 ところが。
「ねぇ、エヴァリン」
 ウィルフレッドはエヴァリンとの距離を詰め、膝の上に置いてあった手を取る。その引かれる手のままに顔を向ければ、思った以上に近い距離に彼の顔があった。さらに顔を近づけられて、とっさに息を詰める。
「君に結婚を申し込みたいのだけど」
「……え?」
 ――結婚?
 一瞬その言葉の意味が分からなくなるほどに頭の中が真っ白になって、ただひたすらウィルフレッドの顔を見つめた。詰めた息が逃げ場を求めて苦しくなった頃に、ようやく我に返ったエヴァリンを彼は満足そうに見つめてくる。
 一瞬たちの悪い冗談なのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。ゆっくりと瞬いて次に目を開けたときには、ウィルフレッドは真摯な面持ちに変わっていた。握られた手にも力が込められて、二人の距離は変わらない。
 エヴァリンの緊張が一気に上がる。
「君と結婚したい、エヴァリン」
 今度こそ不意打ちでもなく曇り一つない目で、ウィルフレッドは申し込んできた。
 結婚をこの自分としたいのだと彼は言うのだ。これに戸惑わないわけがない。
 つい数時間前に他の女性といたことを言及したばかりだというのに、それなのに彼はプロポーズしてきた。
 ドクンドクンと鼓動が大きく鳴り響く。
 これが冗談ではなく本気なのであれば、――どうしよう。そう瞬時に迷ってしまった。本当は迷ってはいけないのに、エヴァリンは迷って心がグラグラと揺れ動いたのだ。
「何故、です? どうして突然結婚など……」
「こんなにデートしているんだから、そういう話が出てきてもおかしくないだろう?」
「ですけど……!」
「僕が他の女性と一緒にいたから? 君はそういう対象ではないと思った? それどころか僕に結婚する気などない、とか?」
 すべて思っていることを言い当てられてしまう。
 けれども、彼が女性と結婚を望むようなタイプではないと誰しもが思っていたことだろうし、それはエヴァリンだって同じだ。青天の霹靂とはまさにこのことで、この場に他の人がいたのならば一緒になって絶句していたことだろう。

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