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【14話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

 きっとそのときには横にリコリスがいて、昔話に花を咲かせるのだろう。それもまた楽しそうだと自然と笑みがこぼれた。億劫だった帰宅もこれなら素直に足が向く。
「……好きだな、その笑顔」
「え?」
 気が付けばウィルフレッドがエヴァリンの顔を興味深そうに見ていた。『笑顔』と言われてすべて見られていたことに狼狽し、手で頬を覆う。
「ねぇ、エヴァリン。次のデートのときに僕が石をプレゼントしたら、君はまたその笑顔を見せてくれる?」
「次の……デート、ですか?」
 驚きだ。次の逢瀬をウィルフレッドの方から持ち出すとは思いもしていなかった。むしろ次へとどう繋げていこうと考えあぐねていて、この帰り道の憂鬱の一因でもあったのに。
 加えてプレゼントまで用意してくれるつもりなのだ。あまりに申し訳なさすぎて尻込んだ。自分はそこまでしてもらう資格はない。
「ウィルフレッド様、嬉しいです。――でも、私はお試しですからそこまでしていただかなくても……」
「試されているのは僕も同じだと思うけど?」
 エヴァリンの手を目の前まで持ち上げ、恭しく手の甲にキスを落とす彼を見て、息を呑んだ。その言葉が意図するところを深読みしすぎて下手に胸を騒がせる。
 ウィルフレッドとこの疚しさに振り回されて、自分が見えなくなりそうだ。
「この状況は僕が君を試しているのと同時に、君も僕を試している。デートというのはそういうものじゃないかな? だから僕が君と会いたいと思う限り他の女性にするのと同じようにプレゼントもするし、デートにも誘う。その条件は君も同じだ。万が一君が僕ともうデートはしたくないと思うなら断ればいい」
 押しつけがましくない言葉。彼はエヴァリンを同等に扱い、選択肢も与えてくれる。
 ここ四年何も選ぶことすらできなかったエヴァリンにとって、それは眩暈がするほどに嬉しい言葉だ。忘れかけていたものが戻ってくるような感覚がした。
「でも、できるなら君には次のデートの誘いに頷いてほしいな。僕はまだ君を試したいし、……僕も君に試されたい」
 眩暈は熱になり、目の前が鮮やかな色に様変わりする。狭く灰色だった世界が消えていって、今はウィルフレッドの榛色の優しい世界しか見えない。
 ――あぁ、このまま流されることができたのなら。
 また手の甲に彼の唇が落ちる様子を見ながら、浅ましくもそう思ってしまった。
 けれども。
『私のことはいいから、自分の幸せを掴んできて。そしてここから出て』
 リコリスをあの世界に置いてはいけない。
 欲張ってはいけないのだ。ミイラ取りがミイラになってしまっては意味がない。ただ、アダルバートに笑われて終わるだけだ。
「ありがとうございます。では、次回楽しみにしていますね」
 あの榛色の瞳に堕ちて自分を見失う前に、エヴァリンは瞳を閉じて現実に引き返した。
 ウィルフレッドと過ごす時間は非現実だ。夢のように輝いて夢のように心地がいい。
 彼はいつも見たこともない新たな世界を見せてくれて、逆にその厳しさも同時に教えてくれる。その明と暗の両側を見せてくれるのは彼なりの優しさだと思っている。エヴァリンもまたそれを望んでいるし、今後の勉強にもなる。
 のちにそれを生かすときが来るかは分からないが、それでも見なければよかったなどと後悔することは決してないだろう。エヴァリンの得難い財産となる。
 だから、そんな風に思えてしまうのだと思うことにした。そう思いたかった。
 ――ただ、そこに一抹の寂しさが残ったことに気付かぬ振りをしながら。

 ウィルフレッドは次のデートのときに、本当に原石をプレゼントしてくれた。天鵞絨ビロードの小箱に入れられたその石は、青の中に瑠璃色の輝きを見せる綺麗なものだった。
「君の瞳の色だろう? それを見た瞬間にこれだって思った。藍方石らんぽうせきと言ってね、稀少石なんだ。まさに君の石だ」
 驚きと喜びで言葉が出なかったのは初めてだ。原石の美しさやその稀少性に驚いたことはさることながら、本当に次のデートでプレゼントしてくれたことや、エヴァリンに合うものを探し出してくれたことに、得も言われぬ感情が沸き起こる。
 素直に喜んでいいのか分からなかった。でも、ここで喜ぶ素振りを見せなければデート相手としては不足だろう。
 けれども偽りの自分を見せることに抵抗感を持つ。こんな素敵なものを貰ったのに、偽りの反応を見せることが心苦しい。
「ありがとうございます」
 ウィルフレッドに揺れる。
 足元が覚束ない感覚がエヴァリンを襲い、そのたびにこの顔に笑顔を貼り付けた。

 ――この頃からかもしれない。
 ウィルフレッドに会うたびに胸が苦しくなってきたのは。
 会いたくないと思う反面、会える日を楽しみにしている。それはウィルフレッドとの逢瀬の日が唯一外に出られる日だから楽しみなのか、それとも他に理由があるのか。その疑問の問いが彼の顔を見るたびに明確化してくる気がする。
 目の前に据えた現実がぼやけ、夢との境目が分からなくなってきた頃、それを断ち切るように目の前に現実が転がってきたのだ。
 唯一、一年の中で外に出ることが許されている父の命日に墓参りに出たとき。体調を慮って外出を控えたリコリスを屋敷に置いて、一人教会の墓地に向かった。
 首都へと向かう橋を渡り、繁華街に入る手前にある教会で馬車を降りる。
 ユリの花束を腕に抱えながら墓地へと向かうその道すがら、格子の扉を開くときに、ふと通りに目を配った。
 すると、見覚えのある背格好の人を見かけて目を瞠る。
 偶然にもウィルフレッドがいたのだ。店先で何かを見ている。
 ところがそこには彼一人ではなく、隣に女性が並んで楽しそうに話をしていた。
 手の中でパキリと乾いた音が鳴る。
 ゆらゆらと揺れる景色の中、その二人だけがくっきりと浮かび上がって見えているような気がした。
 おそらくこのまま見ていてはいけないのだろう。目を逸らして見なかった振りをするのがきっとここでの正しい対処方法だ。それなのに瞬き一つできない。
 だが、エヴァリンの視線を捕らえて離さないアッシュブロンドの髪の持ち主は、非情にもこちらを振り返る。そしてエヴァリンに気が付いて視線を寄越してきたのだ。
 この呼吸も、そして流れていたはずの時も止まり、前髪を悪戯に弄っていた風も凪ぐ。
 エヴァリンのすべてが停止し、ただウィルフレッドとの世界だけになった。
「――――」
 だが次に世界が動き出したとき、――エヴァリンは笑っていた。
 ウィルフレッドが他の女性と仲良くしている場面を見て、衝撃を受けていたはずのこの心は瞬時に空っぽになり、それを埋めるかのように笑みが顔に宿る。
 それは静謐せいひつで、不気味で。
 自分でも何かが振り切れたように冷静だった。
 そのままゆっくりと頭を下げて何ごともなかったかのように涼やかな顔でお辞儀をし、そして再度ウィルフレッドの顔を見てから墓地の中へと入っていった。
 入り口からほど遠くない場所にある父と母の墓に、そっと百合の花を添える。膝をついて目を閉じたエヴァリンは、先ほどの光景を思い返した。
 ウィルフレッドも平然とした顔をしていた。驚くほど冷静なのはお互い様だったようだと可笑しくなってくる。
「……お父さん、お母さん。私、何やっているんだろうね」
 物言わぬ墓石に問いかけて、泣きそうになった。

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