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【12話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

「エヴァリン・アマリスです。よろしくお願いいたします」
「僕はウィルフレッド・クルゼール。よろしく」
 ウィルフレッドはわざわざ立ち上がってエヴァリンの目の前に立ち、名乗ってくれた。そしてこの手を取り、指に口づける。そのまま導かれて、カウチに腰をかけた。
「君のパートナーは、もしかしてアダルバート・アマリス?」
 二人並び座った途端に、ウィルフレッドはそう問うてきた。やましいところがあるエヴァリンは、その質問に焦りを覚えながらぎこちなく頷く。
 一緒にいるところを見たのだろうか。それで何かを勘ぐっているとか?
「同じアマリス姓……、それにエヴァリンはこういう場は初めてだろう? ということは、アダルバートの親戚ってところかな?」
「……はい。従兄です」
 まさか、こちらの思惑がバレているはずはない。そう分かってはいながらも、ウィルフレッドのその何を考えているか読めない瞳は、安易に安心を与えてはくれなかった。
「なるほど。君は前当主の娘だね。なら、君があれだけ礼儀正しい理由が分かったよ。あの人はマナーに厳しくて、誰よりも貴族の仲間に入りたがっていた人だったな」
「父をご存知なのですか……?」
 驚きのあまりに声が上擦り、身を乗り出してしまった。興奮が沸き上がってしまい、繕った顔が一瞬剥がれ落ちる。
 生前の父を知っている人。父の死後以降、叔父とアダルバート以外に会えなかったエヴァリンにとっては貴重な人間だ。エヴァリンが見ることができなかった、社交界での父を知っているウィルフレッドの話に期待が高まる。
「知っているといっても、数回挨拶程度に話しただけだけれどね。君の父上はあの頃駆け出しの若造だった僕には興味がなかったみたいだから、そんなに長くも話そうとはしなかったしね」
「そ、それは父がとんだ失礼を……」
「別に責めているわけじゃないよ。ただ、貴族じゃなくてもあの人に目にかけられるくらいに成功してみせると誓った。僕にとってはいい思い出だ」
 そうは言ってはくれたが、エヴァリンは恥ずかしくて仕方がない。父がそんなに野心家だったなんて知らなかったし、人を選ぶような人間だったのも知らなかった。自分がいかに『アマリス家』という狭い世界でしか生きていなかったかを痛感して、居た堪れなくなる。
「申し訳ございません。お恥ずかしいことに、私は父の外での顔を知りません。何故あんなに教育に熱心だったのか理由を知ったのは、……両親が死んだ後でしたから」
 両親の打算、外での姿、自分が学び続けた意味。それを知って今さら衝撃を受けるなど、愚かだろう。けれどもエヴァリンはその動揺を今度こそ隠し切れなかった。顔を俯かせ、かろうじてこの場を取り繕う。
「恥じることは何もないよ。人には家では見せない顔がある。僕だってそうだ。家での顔と外での顔は別物。上昇志向が強くて使えるものは何でも使う。そういう人間はここでは多い。それに、僕は君の父上は結構好きだったな。卑屈になって他人を羨むだけの人間より、何倍もマシだよ」
 慰めてくれているのだろうか。それを申し訳なく思いながら彼の顔をちらりと見た。
 だが、ウィルフレッドの顔は憐れんだりはしてはいなかった。ただ自信に満ちた笑みを浮かべて頬杖をつきながらエヴァリンを見ている。彼の言葉は慰めではなく真実なのだと知る。
「私は、父の思惑を知ってからは、父にとって娘は金を得るための『商品』なのだと思っていました。金を持つ相手に売り込むために、必死に形を整えて見栄えをよくして。それに腹を立てることはないですけど、でも……」
「哀しい?」
 自分の気持ちをはっきりとは言えないエヴァリンの代わりにウィルフレッドが代弁する。それに素直に頷くこともできなくて、こみ上げる感情が溢れ出てこないように口を引き結ぶに止めた。
「……君は随分と幼いね」
 けれども、ウィルフレッドはさらに真実を突きつけようとする。優しい言葉で、エヴァリンの本質を突いて。
「はい」
 世間知らずで幼くて。見栄でもウィルフレッドの言葉を否定することはできない。それは自他ともに認めるところだからだ。
「素直な子は好きだよ」
「でもそれはこの世界では生きにくい欠点でもあるでしょう」
「そうだね」
 ウィルフレッドは笑って頷く。それにつられて自然とエヴァリンの顔にも笑みが宿った。
「しかし、君は自分のことを面白い表現をするね。『商品』、ね。それでここに買い手を探しに来たわけか」
「そうですね。貰い手がいらっしゃればの話ですが。結局今日は壁の花で終わってしまいました」
 己の未熟さや、これから飛び込む世界の眩さや、恐ろしさを知っただけに終わった。ただ立っていただけのエヴァリンには、何もすることのできない無意味な時間だった。
 だからこそ今、また怖気づくわけにはいかない。ウィルフレッドと接点を持ったからには、何かしら手土産を持って帰らなければ、リコリスに顔向けができなくなる。
 忘れてはいけない。
 ウィルフレッドとただ話したいわけでも、ましてや結婚したいわけでもない。
 目的はただ一つだ。
「――もし、よろしければ、クルゼール様。この『商品』をお試ししてみてはいただけませんか?」
 ウィルフレッドの目が細められる。こちらの意図を吟味するかのように、じっくりとエヴァリンを見つめた。エヴァリンもまた、迷うことなく視線を返す。
「これはまた面白いことを言う」
 しばし沈黙したのちに彼が噴き出したように笑ったのを見て、まずまずの反応だと心の中で安堵した。あからさまに訝しむ様子もなく掴みは上々だ。
「不慣れではありますが、試してみても損はないと思います。もしお気に召さなければ、遠慮なく返品なさってください。また他の買い手を探すだけです」
「心くすぐる誘い文句だね。まだ誰も試したことのない、真っ白な君を僕が優先的にお試しできるわけだ。いいね、そういうの。新鮮だ」
 言葉では気に入っているようなことを言ってくれている。本当に乗り気になってくれているのか、それともこのまま様子を見るつもりなのかは分からないが、何も言えないよりはいいだろう。
「それでは、ぜひそのお誘いを受けようかな」
「ありがとうございます、クルゼール様」
「ぜひウィルフレッド、と。まずはデートから始めようか。どうだい? エヴァリン」
「はい、ウィルフレッド様。よろしくお願いいたします」
 何かしらの行動を起こせば、事態は動いていく。いい方に転がるか悪い方に転がるかは分からないが、きっと何もしないより後悔は少ない。それに、これでアダルバートにちゃんと役目を果たすために動いていると示せる。
 これが足掛かり。
 この人をアダルバートの望みのままに貶めて傷つけて、そして辱めるための一歩だ。
「さて、そろそろ身体も冷えてきたね」
 ウィルフレッドが立ち上がり手を差し出してくる。エヴァリンはその手をじいっと見つめて、キュッと眉根を寄せた。
「アダルバートは他の女性のもとへ行ったんだろう? そのまま帰らないだろうから、僕が家まで送るよ」
 今日の目的を果たし、予定以上の成果を出せた。
 けれども、この優しく差し出された手を見ながらそれを素直に喜べない自分がいる。
 罪悪感か、それともこれは……。
 ふいにエヴァリンの中に溢れ出そうな何かに気付き、それを振り払うように何食わぬ顔でウィルフレッドの手を取った。
 指先が彼の手のひらに触れたとき、ウィルフレッドの手の温かさに驚く。そして、自分の手がいつの間にか、冷たくなっていたことに気が付いた。
 こんな風にいつか、自分は人間の体温をなくしてしまうのだろうか。
 この手のような温かさをなくして、誰を騙すことにも痛みを覚えないほどに、この心が凍りついてしまえば。
 きっとリコリスを守り切ることができるほどの強さを、手に入れることができる。

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