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【11話】不埒なあなたはこの愛に沈む~狡猾な夫の思惑と従順な妻のはかりごと~

作品詳細

 きっと彼のような人を紳士というのだ。品格があって礼儀正しい。人を貶めたり蔑んだりすることなく、穏やかな言葉を持って接してくれる男性。
 父の死後からずっと触れていなかった男性の優しさというものが、すべて彼の中に詰め込まれているような気がして、エヴァリンは眩しそうに目を眇めた。
 ――彼は、どんな女性を好むのだろう。
 可愛らしい女性か、それとも理知的な女性か。無知な振りをして男性を持ち上げるあざとさや、甲斐甲斐しく世話をするような母性を見せた方がいいのだろうか。
 そのヒントを得ようと、様々な女性を相手する彼の反応を見た。
 ところが彼は誰に対しても公平で、どんな相手でも卒なく相手をし、そしてある程度の時間になれば会話を終わらせる。彼が引き留めたり特別な反応を見せているような女性はおらず、結局そこから導き出すことはできなかった。
 ならば、次に一般的にどんな女性が好まれるのかを考えた。
 やはり、愛嬌は必要だ。愛らしい笑顔と好感の持てる話し方。――そう、リコリスのような。
 エヴァリンは、リコリスの笑顔を頭の中に思い浮かべてそれを自分に置き換えてみる。だが、上手く想像できずにそれは霧散した。花が咲きこぼれるように笑う自分を想像できないのだ。
 リコリスはよく笑っていた。家を奪われ埃臭い狭い部屋に押しやられても、病気で苦しいときも彼女は笑っていた。声を上げて笑って『私は大丈夫』と力強く言うのだ。
 そのたびに、リコリスの強さを思い知る。
 彼女は苦境の中の光だ。小さいながらも決して消えることのない永遠の灯。
 その光に今度は自分がなってあげたいのに、この足を一歩ウィルフレッドに踏み出せない。ただ遠くから観察しては尻込みすることに終始している。
 一夜のチャンスだ。これを逃してしまえば、アダルバートは怒り、そしてこんな舞台は二度と用意してくれないだろう。それどころかリコリスの治療をも取り止めてしまうかもしれない。
(行かなきゃ……っ)
 同じ言葉が頭の中で回る。けれどもそれは何度も空回ってこの身体を突き動かしてはくれない。
 だが、ここで父の教えを思い出してエヴァリンの中で一縷の光が見えてきた。
 こういう社交の場では、初対面のときは誰かに紹介してもらうのが習わしだ。ここはアダルバートに紹介をしてもらって、ウィルフレッドとの接点を作るのが筋だろう。
 それならばさっそくアダルバートに動いてもらおうとしたところで、ちょうどあちらから声をかけてきた。
「おい。あとは勝手にやれ。俺もそうする」
 ところが彼から出てきたのは期待した言葉とは真逆のものだった。ここで別行動をとり、紹介すらしてくれずにどこかへ行こうとしている。
 そんなアダルバートをエヴァリンは慌てて引き留めた。
「待って。ちゃんとウィルフレッドに私を紹介してくれないと困るわ。それがここでの礼儀でしょう?」
 だから離れるときはやるべきことをやってからにしろ、と暗に言うも、アダルバートはそれを一蹴した。
「知るかよ。俺がわざわざあいつに話しかけに行くわけないだろう。胸糞悪い。話しかけたきゃ自分でどうにかしろ」
「そんな……!」
「おいおい、他力本願もいい加減にしろよ。俺は忙しいんだ。今日はカリアン夫人が来ているからな。これを逃す手はない。俺はカリアン夫人と過ごす、お前はあいつを堕とす。ここでの役割を果たせ。いいな。抜かるなよ」
 そう冷たく突き放したアダルバートは、文字通りカリアン夫人の尻を追うべくエヴァリンをその場に取り残して行ってしまった。
 ウィルフレッドと話す機会を失ってしまったエヴァリンはその場に立ち尽くす。見知らぬ世界に取り残されて、さらにその使命を果たす手掛かりもない。
 このままあの人だかりに飛び込んでみようか。
 そう無謀なことも考えて輪の近くまでやってきたが、他の女性たちに冷たい視線を向けられ肘で追い出されてしまう始末。
 エヴァリンの焦る気持ちとは反対に、時間だけは無情に流れていった。
 そうこうしているうちに、ウィルフレッドが会場から人知れずに出ていく姿が見えた。もう帰ってしまうのかとエヴァリンは慌ててその後を追っていく。
 だが、予想に反して彼はそのまま玄関に向かうのではなく、道を逸れて開放されているテラスの方へと向かっていった。そのテラスにはカウチが一対置いてあり、憩いの場になっているようだった。
 カウチに一人座るウィルフレッドの後姿を見ながら、エヴァリンはこの千載一遇の機会に胸を躍らせる。話しかけるなら今しかない。
 今度はその踏み出す一歩に迷いはなく、先ほどまでの躊躇いがまるで嘘のように足が軽い。コツンと大理石の床を蹴るヒールの音が鳴り響き、その音と共にテラスに出る。
 エヴァリンの気配を察したウィルフレッドは、ゆっくりとこちらへと振り向いた。榛色の瞳が瞬き、そして眇められる。
「こんばんは」
 エヴァリンは心の中に巣食う緊張を気取られないように、顔の下にひた隠して代わりに笑顔の仮面を取り付けた。リコリスのように明るく誰からも好かれるような笑みを頭の中に描きながら、それを模して。
「お邪魔したらごめんなさい。中の熱気に当てられてしまって……。少しここで涼みたいのですが、よろしいですか? お邪魔にならないように離れていますので」
「僕に遠慮は必要ないよ。どうぞそちらに、お嬢さん」
 それが功を奏したのかどうなのか。ウィルフレッドは突然現れたエヴァリンを邪険にすることもなく、隣のカウチに座って休むことを勧めてくれた。それに嬉しそうに微笑み、お礼を言う。
 けれどもすぐに座ることはせずに、小さく一歩ウィルフレッドの前に出て背筋を伸ばした。
「本来ならこんな風に自己紹介をするべきではないと承知はしておりますが、あいにく私を紹介してくれるパートナーが不在ですので、無礼をお許しください」
 礼を欠くことで彼の気分を害するのは避けておきたいエヴァリンは、最初に頭を垂れて詫びた。
 それを聞いたウィルフレッドは気分を害するどころか少し吹き出し、面白いものを見たとばかりに声を抑えて笑う。思いもよらない反応にエヴァリンは戸惑い、しばし呆けて彼の笑うさまを見ていた。
「笑ったりしてごめん。でも、実に礼儀正しいお嬢さんだ。最近は二人きりになると、そんなものはお構いなしに話しかけてくる女性ばかり相手にしていたから、新鮮というか拍子抜けしてしまって」
 母に習った通りにしたはずなのに、逆に物珍しいものみたいに言われて狼狽した。意外とこういうものは形骸化されてしまっているのだろうか。
 笑って顔を崩してしまっていたウィルフレッドは気を取り直して、『でも……』と言葉を続ける。
「僕は貴族の真似事はしないしあまりそういうものには興味ないからいいけど、中には重要視する人間もいるから、君のその礼儀正しさは大事なものだよ。ご両親は君を素敵なレディに育てあげたね」
「……あ、ありがとうございます」
 真正面からそんなことを言われるのは初めてだったので、面映ゆかった。亡き両親が残してくれたものを褒められて素直に心が舞い上がる。頬に熱が灯ったのが分かった。
「それで? 自己紹介の続きはしてくれるの?」
 改めて自己紹介を催促されて、エヴァリンは何となく気恥ずかしくなりながらカーテシーを取る。何故かウィルフレッドを前にすると、作りかけた仮面がぽろぽろと剥がれていってしまっているような気がした。

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