【4話】美貌の教授は一途な司書に恋を甘く教える

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「……桂川先生?」
 さすがに勝手に部屋に入ることははばかられ、僅かに開いた扉の隙間からそっと中の様子をうかがった。
 覗き込んだ視線の先には桂川先生がいた。こちらに向かって、肘掛けのついた椅子に腰かけ、足を組んでいる。
 そして、彼の腿を跨ぐようにして、膝に腰かけている女子学生の後ろ姿が目に入る。
 こちらに背中を向けているから顔は分からないけれど、華奢ながらもS字にくびれたラインが艶めかしい。
 あまりに衝撃的な場面にハッと息を呑むと、桂川先生とはっきり目が合った。
 どんな時も変わらない怜悧な美貌に一瞬の感情の揺れを見たような気がして、キリで刺されたように胸が痛む。
「君は……」
 桂川先生が膝に乗せていた女子学生を押しやり、こちらに向かって立ち上がろうとしたのが見えたと同時に、私は踵を返してその場を駆け出していた。

 図書館に戻ると、高柳先生に探していた本が見つかったこと、桂川先生が研究室にいなかったことを告げ、当該の本を預かってもらった。
 そしてまだ整理されていない大量の返却本を台車に乗せ、書庫に向かう。
 自分でも驚くほど動揺していた。体から血の気が引き、指先までもが冷たくなっている。
 今はただ、誰もいない場所で自分を落ち着かせたかった。
 ……桂川先生があんなことするなんて。
 さっき研究室で見た淫猥な光景が目に浮かぶ。
 私が在学していた時にも、学生たちの中には本気で先生を誘惑しようとする人たちもいた。それに今だって、桂川先生の周囲に女子学生が絶えないのは変わらないだろう。
 それでも、先生は決して彼女たちを相手にすることは無かった。
 度を越して女性としての自分をアピールする学生には、時には冷酷なほどの拒絶をして見せていたほどだ。
 華やかな存在でありながら、決して自分を見失わない。学生の指導と自身の研究に没頭する真摯な彼だからこそ、彼に憧れる女子学生は後を絶たなかった。
 私だってそのうちのひとりだ。
 ……好きだったのに。
 本当は私も、一年の頃からずっと桂川先生に恋をしていた。
 授業中に盗み見る横顔も、静かなのに熱を感じさせる声音も、何もかもが私の体温を上げた。私にとっては最初の、唯一の恋だったのだ。
 けれど他の子たちと違い、綺麗でもなんでもない地味な私には、先生と話すことなどできはしなかった。
 できることと言えば、遠くから見つめることだけ。だけど私には、それだけで十分だった。例え先生に近づくことができなくても、ただ好きでいられるだけで良かったのだ。
 ざわめく胸を何とかなだめながら、私はさっき桂川先生の膝の上に跨っていた後ろ姿を思い出す。
 猫のようにしなやかな肢体。くるくると巻かれたはちみつ色の髪、柔らかそうな体と、華奢なウエスト。
 ぴったりとしたニットワンピースから覗く太腿は艶めかしく、むせ返るほどの色香を放っていた。
 研究室に出入りしている学生だから、きっと二十歳前後のはず。私よりずいぶん年下なのに、後ろ姿だけで成熟した女性を感じさせる。
 胸の中で何かがちりちりと焦げつく感覚をどうすることもできなかった。
 大人の男と女が密室で密着していることの意味くらい、いくら経験のない私だって知っている。
 あの後ふたりはどうなったのか。考えまいとすればするほど、抱き合うふたりの姿が頭から離れない。
 ……学生に手を出すなんて。しかも研究室で……。
 私にとって桂川先生は崇高で清廉な、特別な存在だった。
 そんな先生にずっと恋していたのだ。
 でもそうじゃなかった。そんなの、私のただの思い込みだったんだ。
 誰も来ることない書庫の奥で脚立に立ち、私はただひたすら本を並べた。事務的に分類ごとに本を並べ、紛れ込んでしまった本はあるべき場所に戻す。
 集中して作業に打ち込んでいる間だけは、余計な感情を殺すことができる。

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